プライド
!ガゼルが女になってしまったとかいう頭のおかしい話です。閲覧注意!
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私の体が女になって二日目、その日はガイアとプロミネンスの試合があって、ダイヤモンドダストは空きという日程だった。私は昨日と同様、胸を潰してサラシを巻いて、その試合を観戦した。明日はプロミネンスと私達の試合がある。私がこんな体になった今、プロミネンスの、そしてガイアの、強みや綻びがどこにあるのかという情報を、少しでも多く見出したかった。
同時に、昨日ウルビダに言われたことを思い出しながら、女子の動き方を注意深く見る。なるほど、彼女達は元々フィジカルで敵わないのが分かっている相手には先制攻撃でタックルを封じているのだ。タックルの威力が大きいプレーヤーはその分体が重い。そして彼女達の方が体が軽い分スピードに優れている。女の体にはそれなりの使い方がある、という言葉通りの戦い方だった。
(……だが)
私はグランとバーンがボールを奪い合うのを見て思った。能力値のバランスが取れている彼らみたいなプレーヤー相手だと、それでかわし切れるほどのスピードの優位性をとることができるのだろうか?いくら巨体の男よりは身が軽いと言っても、筋力が落ちた身にこの胸は重い、いくら潰していても。それにシュート技の威力だけは、絶対的な力が足りないとどうしようもない。
私は自分の体を改めて見た。胸を潰している今、見た目の筋張り方はやっぱり男だった時とそう変わらない。なのにどうしてパフォーマンスだけがこんなに落ちてしまうのだろう。そんな場合ではないのに。
試合は2−1でプロミネンスが勝った。バーンがフィールドの真ん中で、チームメイトに囲まれながらガッツポーズで喜んでいるのが見えた。私は何とも言えない気分でそれを見た後、試合場をあとにする。見ていた限り、今日のプロミネンスはとても調子が良かった。恐らく明日、あの顔を悔し顔に変えることができるだけの力が、今の私にはないだろう。
チーム練では、今日見た試合の様子を元にフォーメーションを組み、彼らの動き方や局面を細かく想定し、それに対する対応策を重点的にシミュレーションした。力に頼れない今、それに勝つためには頭脳戦に持ち込むしかない。私個人の動きもそうだし、チームとしての動き方もある程度合わせてもらう必要があった。まぁ元々私のチームはアイキューを中心として頭脳戦の得意なタイプが集まっているから、それ自体はそこまで負担にはならないようだった。
そしてチーム練を解散した後、私は一人今は使われていないセカンドの修練場にこもり、走り込みをした。すぐに脚力が戻らなくても、試合中の持久力だけは何とかしたい。一朝一夕で身につくものではないけれど、逆に一朝一夕で完全になくなるものでもないだろう、感覚を思い出せば少しはマシになるかもしれないと思ったのだ。
でもやっぱり、少し走っただけで、息がうまくできず喉がヒリヒリ痛くなる。ここで休んだらそれ以上走れなくなるのは分かっている、必死に重い足を前へ進めるけれど、試合中使い物になるとは到底思えないような走りにしかならなかった。
どうしようもなくなってふらつく足を止めたら、足はそれ以上体を支えることができずにがっくりと折れた。弾む息、と言うには荒過ぎる息をもてあましながら、やっぱり女になっただけでここまでスタミナが落ちるのはおかしい気がする、と思う。
ふと思ったそのことは、頭の中でだんだん大きくなった。ならば何がいけないのだろう?
一番苦しいのは―――息だ。
だとすれば。
ここはセカンドの練習場、誰も来はしないだろう。私は一応周囲を見回してから上衣を脱ぎ、胸を締め上げるサラシを外しにかかった。ややあってから、無用の豊胸が解放されて外気に晒される。
あぁこんな胸を前にしたら、男だった時には動揺していただろうに、今は本当に何とも思わない。試しに手で持ち上げると、表面は柔らかいが中は意外と固く、重力に負けずに形を保つ。その中心にある乳首は男だった時よりずっと瑞々しい色で、ツンと斜め上を向いている。
私は、どういうわけか自分のものになったこの美しい胸が、急に憎くて仕方なくなった。これさえなければ、こんな惨めな思いをしなくて済むのに。どうしてこんなものが!
あと5秒もしたら、私はその場で崩れて泣きわめいていたかもしれなかった。
けれど、
実際にはその前に予想もしないことが起こって、
「いいカタチしてんじゃん」
「―――」
それどころではなくなった。
「バ…ン」
奴は私の真後ろにいた。首の後ろに息が感じられるほど近くに、気付かないうちに。
混乱する。どうしてバーンがここに。つい今までいなかったのに、一番知られてはいけない相手だったのに。頭の中で警鐘だけが鳴り響くのに、あまりのことに私の頭も体も完全に硬直していた。
振り向けない。
動けない。
奴の手が私の後ろからするりと伸びてきて、剥き出しの私の胸に絡むのが、分かるのに止められない。
「無防備過ぎんじゃねーの、ガゼル」
「…や、めろ」
「こんなとこで上半身裸になるなんてな?」
「やめ…」
バーンはわざとらしく肩に顎を乗せて、私の耳に息を吹き込むように呟いた。そこまで来ても私の思考はまだ戻ってこない、体はまだ言うことを聞かない。バーンの指に妙にゆっくり力が込められ、それから抜けて、また力が入れられるのを、見ていることしかできなかった。
どうして。絶え間なく続く疑問と混乱の中で、私はバーンの態度には欠片の動揺も見られないことに気付く。私が女になったことを今知ったとは思えない。むしろずっとこれを狙っていたかのような。
「…貴様、やっぱり昨日、聞いていたな…!」
何とかそれだけ絞り出したのに、バーンは一言も答えない。代わりに、少しずつ手に力の入る間隔が小さくなっていく。やがて、疑いようもなく、手加減もなく、揉みしだかれ始める。
「……!」
私は身を捩った。けれどバーンの腕はびくともしないで、夢中で私の胸を揉み続ける。私より色白の無骨な指が乳房に食い込む度に聞こえる息が荒くなり、胸の芯を通って下半身からせり上がる得体の知れない痺れが体の中を疼かせる。知らない間に完全に密着していた体。耳の下に舌が這う。バーンが興奮している、そしてそれが、私の脚の間を狙って擦り寄せられるのが分かってしまう。
私はゾッとした。こんなにもバーンの男を恐ろしいと思ったこともない。嫌だ、こんな、私は女じゃないのに、女になんかされたくない、知りたくない。しかもこんな混乱したまま、よりによってこいつになんて。
私は、どこか妙に冷たい気分になるのを感じた。胸に夢中になっているバーンの肋骨狙って、何の前触れもなく、全力で肘を打ち入れる。肘と骨が激突して軋む音がして、さすがに一瞬緩んだ腕から抜け出し、今度は鳩尾の真ん中に蹴りを入れてやる。
男だった時ならきっと吹き飛ばせただろうけど、
「ぐぇっ…ゴボッ」
それが叶わないまでも夕飯の中身を戻させることには成功した。
私は、その間に全力で逃げた。あいつが動けなくなってる間に少しでも遠くへ。服を着ながら修練場の外に出て、それから考える間もなく自分の部屋目指して走っていた。
バーンは追っては来なかった。自室に辿り着いてロックをかけて、ようやく安堵を手に入れる。私はその場に腰を下ろして、弾む息を宙へ逃がす作業を繰り返した。
(……ん、)
その息がまだ完全に収まり切らない間に、私はあることに気付いた。
「………」
さっきまで、あんな短い間さえ走っていられなかったはずの疲れた足で、私はそれなりに距離もあり、階差もあるあの修練場からここまでの道を、さっきまでより軽い疲れで走ってきたのだ。
(これは…)
そんなに考えなくても理由は一つしかないという結論に至る。
さっきまでと今とで違うこと―――サラシで胸を潰しているかいないか。さっき修練場で最初に疑った通りのことだった。このサイズの胸を平らにするための締め付けは、運動に必要な呼吸量を妨げていたのだ。そのせいであんなに早くスタミナが切れたり息ができなくなったりしていた。
つまり、逆に言えば――女であることを隠さなければ、私はある程度のスペックを取り戻すことができるということだ。
「……」
私は立ち上がって、今度こそ安全になった空間で上衣を脱ぎ、ウルビダから譲り受けて以来一瞬しか活躍していなかったブラジャーを拾い上げた。
女の体にはそれなりの使い方が。
まずはここから始まるのかもしれない。
***********
翌日、プロミネンスとの練習試合に出た時、私は胸を潰していなかった。私の姿を見たプロミネンス男子の間に動揺が走るのが分かる。彼らの中ではいっそ悪い冗談か何かで私が女装してでもいるなら良かったのだろうが、残念ながらこれが現実だ。彼らには申し訳なく思いながらも、一人全く動揺せずにニヤニヤ笑いを浮かべているそのチームの中心人物を見たらそれも吹き飛んだ。男だった時に体の関係を持ってから少しうやむやになっていたが、この男はそこに存在しているだけで私の心を冷えさせる。本来、それほどまでに嫌いな相手なのだ。
「なんで隠すのやめたわけ」
「さぁどうしてかな」
「俺にバレたから?」
私は自分でも分かるほどにこやかな笑みを浮かべて、それに答えてやった。
「死ねばいい」
試合が始まった。チームは昨日シミュレーションした通りのフォーメーションを組み、プロミネンスの動き一つ一つに対応する。彼らがそういう細やかなマークを苦手とするのも分かっていたし、チームの動き自体も昨日の練習の時よりずいぶん良くなっていた。皆、私が動けない分を埋めようと、それぞれに考えてくれていたのだ。私のチームにはまだこんなにも可能性が残っていたらしい。
そして――呼吸が自由になった今、私の体も、昨日までが嘘のように動くようになっていた。呆気に取られるバーンやプロミネンスを横目に、次々に突破する。
「ノーザン、インパクト!」
元のと比べたらどうなのか分からないが、必殺技もここ二日の悪夢から覚めたようなキレを見せた。言いようもなく清々しい気分になった。あぁそう、これだ。本来にはまだ少し足りないけど、これが私の、ダイヤモンドダストの必殺技。私の自慢のシュートだ!
試合は3−1で私達が勝った。最初の動揺からしたらプロミネンスの後半の粘りは凄まじかったけれど、本気の頭脳戦と本来の私が揃った私達に恐れるものはなかった。
見れば、バーンが奥歯を噛み締めていた。
昨日は見られないだろうと思っていたバーンの悔しがる顔。胸のすくような思いがするのを止められなかった。
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