焔刃氷華
-3-
その姿が見えた瞬間、何故かゾッとした。
氷の世界、手も足も痛いほどに冷たいこの光景の中、今一番会いたいお前は。
びっくりするほど真っ白で。
本物のお前じゃないってすぐ分かったのに、あんまりにもキレイで、泣きそうなほど慕わしくて。
でも何だかゾッとした。
白い肌のお前。
そんなんあり得ない。
でも、
「…ガゼル」
目の前にいるそいつを、それ以外には呼べなかった。
幻覚って聞かされててもこの冷たさはヤバい。そう、寒いってより冷たい。氷の中に突っ込まれたみたいな。指とか足先とかなんて、もう痛いの通り越して感覚なくなってきた。
そんで目の前の『ガゼル』。
お前が作った幻覚だってんなら、これほどらしい幻覚もねぇな。まさに凍てつく闇だぜ。炎も氷の前には消えるだけだ、って言ってた本物のお前を思い出す。ほんとに、炎はともかく、俺の体温なんてすぐに消えちまいそうだ。
「バーン」
目の前の『ガゼル』が、ガゼルと全く同じように呟いた。あんまり笑わないガゼル。今『ガゼル』も表情を浮かべてない。
「やっと私に気付いたのか、バーン」
「……」
「私はずっとお前のすぐそばにいたのに」
『ガゼル』は、そう言いながら無表情のまま近付いてきた。近付いてくる度に、冷気が増す。ああ、冷てぇな。このまま冷やして冷やして、心臓止まるまで?ひでぇ奴だな、そう言おうとしたら、唇が震えて声が出なかった。歯の根も合わないし、息吸うたんびに喉の奥が氷で張り付く感じがする。
これが幻覚?信じられねぇよ。見た目通りに寒いじゃん。体だって全部その通りに反応してる。寒い、肌が痛い。クソッさっきまで何ともなかったのが嘘みてえだ。
「冷たいか?」
いつの間にか目の前まで来てた『ガゼル』が、少しだけ笑った。そしたらこれだけ寒いのに改めてゾクッとした。
同じなんだ、そういう笑い方もみんな。ただ肌が白いだけで。
けどそれが―――どうしても怖い。違う、お前じゃない。そうじゃないんだ。
「来んなよ」
思わず言ったら、その声はすんなり出た上に声の調子も予想外なほど普通だった。やっぱりほんとに喉が凍ってるわけじゃねえんだ。
「君に私を拒めるかな」
「……」
「私がいなかったら困るだろう」
『ガゼル』はそう言って、俺に片手を伸ばしてきた。反射的にその手を払い落とした―――が、その時、
何が起こったのか一瞬分からなくて、俺は呆然とした。
パシッと、乾いた音を立てて俺の手と『ガゼル』の手が当たった瞬間、
もう片方の手に、払いのけられた感触。
(……え、)
思わず自分の手と、それから『ガゼル』を見つめる。
『ガゼル』は、しばらく目を丸くして黙っていたが、諦めたような息をついてからまた笑った。
「…無駄だよ、『私』は君自身なんだ」
「…?」
「私は君と全ての感覚を共有しているんだ。私が感じるものは全て君に跳ね返る。もちろん、痛みも」
「…?!」
『ガゼル』が何を言ってるのか、俺は一瞬理解できないくらいだった。ガゼルの姿した俺自身?跳ね返ってくる?どういうことだ。ガゼルに跳ね返るってならまだ分かるけど。
「だからね、バーン」
その声でハッと我に返ったら、『ガゼル』の青い目の奥がそこで、一瞬、金色に光った。
「君が私を攻撃することは、できないんだよ」
そして冷気が強まって、
俺の足が、ビキビキって音をたてながら凍りつき始めた。
氷がビシッとかバキッとかいう音と一緒に足を這い上がってくる。このままこうしてたら、間違いなく全身凍ってくだろう。全身氷付けになったらどうなんのかな。死ぬ?でも幻覚なんだろ。死ぬわけないよな。
研崎が言ってたことを思い出す。精神力が強いガゼルだからその意味でもサンプルになるって。多分、氷付けになったら精神的に終わりなんだろう。
もう一度、『ガゼル』の言ってた意味を考える。
『ガゼル』が、俺自身?何で?全然似てねぇじゃん。共通点探す方が難し―――
――――いや、
――俺とお前は炎と氷。正反対、だけど。
――立場とか考えてることとかタイミングとかも一緒のこととか似てるところが多分いっぱいあって。
一緒にファイアブリザードを練習してた時に思ったことを思い出した。
そう、俺とお前はそんなには違わない。案外、超そっくりなとこもあるのかもしれない。
それは分かる。だけど。
『私が君だって?迷惑極まる話だな。どうしたらそうなるのか一旦鏡を見て欲しいものだね』
けど、本物のガゼルならきっとこう言う。あんな楽しそうに私は君なんだよ、なんて絶対に言わない。
どれだけ似ててもやっぱり、あいつはガゼルじゃない。俺の弱みがガゼルの形になったモノなんだ。だから多分、私がいないと困るだろう?ってなる。弱みっても、俺の一部だもんな。
(悪ぃな、ガゼル、そんなんにお前の姿借りちまってさ。なんでこうなっちまったのか知らねぇけど)
頭ん中でガゼルに謝りながら考えて、
(…いやまぁ、それだけ俺がお前のこと考えてたってことなのかもだけど)
すぐ結論が出ちまった。
まぁいいや、ってか、そりゃ考えるだろ。
『ぎゃあああああああああああっ!!』
あの声、まだ耳の奥に残ってる。
ガゼル。やっぱり俺達は一緒だぜ。お前一人狂わしたりなんかしねぇよ。一緒に狂うか一緒に抜け出すかだ。でもって、抜け出してみせる。んな情けない真似してたまるかってんだ。
俺は目の前の『ガゼル』を改めて睨み付けた。
……俺だってなら、容赦はしねぇよ。
氷は膝上まで這い上がってきてて、その中の部分はもう感覚なくなってた。
けど感覚ねぇなら逆にやりやすい。
この氷はほんとはない。冷たいって感じてるだけで足はダメージ受けてねぇんだ。動かしゃ動く。
「……」
口を開けば冷気が喉に侵入してきて、一瞬咳き込みそうになる。
けど、それも、ほんとはない。冷たくなんかない。
「……フレイム…」
「!」
俺が声を絞り出そうとしたら、『ガゼル』が眉を跳ね上げた。またギラッて目が光って、冷気がいっそう強くなる。それと一緒に、氷の粒みたいなのが俺の喉に飛び込んできた。
「…カハッ…」
さすがに乾いた咳が出た。思わず伏せちまった目を戻すと、『ガゼル』はぐしゃぐしゃに顔をしかめてた。
「逆らおうとしても無駄だよバーン!!君に私を傷つけることはできない!!」
んで例の癖で髪を掴みながら、ちょっと高くなった声で言う。
明らかに焦った声。ダイヤモンドダストが雷門と引き分けたあの試合の時と同じ。
「…ハッ、何だよ、焦ったらダメになるのまで本物そっくりだな」
「――――」
ちょっと笑って言ってやれば、信じられないみてえな顔で絶句してる。まったく、そういうとこ、いくら本物じゃねぇってもかわいい奴。俺は腹に力入れて、今度こそ叫んだ。
「フレイムベール!!」
火が見慣れた様子で踊った。足の氷が割れて砕け散る。跳ねた氷の欠片が『ガゼル』に当たったのかな、ちょっと刺さったような感覚が手とか足にあった。そんで俺の周りで熱とぶつかった冷気がジュウジュウ言いながら湯気になってってる。へぇ、やってみただけだったけど、幻覚にも効くんだな。
「…ばか…な……」
『ガゼル』が目を見開いて声を震わせてる。
「おいおい…随分俺を甘く見てんだな?」
「……」
「お前俺なんじゃねぇのかよ?ちょっとリサーチ不足じゃねぇの」
言いながら、ひょっとしてこいつは俺の弱みとかじゃないのかも、って思ってきた。だってこんなにガゼルにそっくり。俺とガゼルは似てるかもしれねぇけど、弱点は全然違うとこにあった。
こいつは俺ってより、エイリア石そのものなのかもな。それともそういう意味自体ないのかもしれないし。
…ま、だとしたら、余計に容赦はいらねぇな。
俺は首をぐるっと回した。バキバキって音がする。雷門戦以来体動かしてねぇもんな。
「久しぶりの一発、覚悟しろよ」
ニッと笑ってみせる。
『ガゼル』は明らかに狼狽しながらジリジリ後退りして、ヒステリックに言った。
「無駄だと言ってるだろう!!私を傷つけたら君も傷つく!!」
それは聞き飽きたっつの。俺は足元にボールをイメージした。幻覚には幻覚だろ。
予想通り、しばらくしたらボールの幻覚が現れた。おあつらえ向きにエイリアボール。
「同じことしか言えねぇんなら黙ってろよな!そんなんで…」
頭の中にあいつらが、プロミネンスが、カオスが、それにガゼルが浮かんでくる。
肌がちょっと黒い、本物のガゼル!!
「脅しになると思ってんじゃねぇよっ!!」
エイリアボールを蹴り上げて、一番慣れた俺のシュートで。
止めを刺してやる。
「アトミックフレア!!」
痛くたって、何だってな!!
火をまとったボールが『ガゼル』の胸に命中した瞬間。
「――――っ!!」
俺の胸の真ん中にも、焼けるような痛み。
「ぐああああああっ!!」
『ガゼル』が悲鳴を挙げる。あぁその気持ちはすげー分かる。熱くて痛い、ダブルパンチ、気ぃ抜いたら骨まで消し炭になりそうな。
「あ…っぐ……」
声みてえな音みてえなのが喉から漏れるのを、さすがに抑えられなくて胸を掴む。当たり前だけど何ともなってない。くっそ、情けねぇな。って言いたいとこだけどこれはしょうがねぇだろ…。
痛みに霞む目で『ガゼル』を見れば、
アトミックフレアが命中した場所から白くて細かい塵になって散ってってるのが見えた。
その塵が舞って、反射して光って、きらきら、きらきら。
…くっそ、痛ぇ。
「…はぁっ、は…っ…」
弾む息を持て余しながら、俺は必死に意識を繋ぎ止めた。
ここがゴールじゃない。ここで寝てる訳にはいかねぇんだよ。
『バーン様!』
あぁ、分かってんよ。
『バーン』
分かってるっつの。
『ガゼル』が散った先から、氷の世界が牢屋に戻ってく。
「は…っ、はぁ…」
それと一緒に、痛みが、ちょっとずつだけど引いていく。
…勝ったのか、エイリア石には。
「…ふぅーっ…」
まだ痛みに弾む胸を落ち着けるために息を吐く。
覚悟しろよな、ガゼル。
俺が抜け出したんだから、お前も抜け出さねぇと絶対許さねぇぞ。
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