後ろ姿

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引っ張り込まれるように抱きしめられて、冗談じゃないと思った。こいつに同情されるなんて真っ平だ。けど、こいつの腕は見た目によらず強くて――こいつが人知れず足腰や腕力を鍛えてるのは知ってた――簡単には振りほどけない。打開できない状況にイラついて、目の前にある鎖骨に思い切り噛みついた。ガリッと音がする。
「……っ…テ…!!」
突然のことで抑えきれなかったらしい鋭い声が上がる。けど、腕自体はほとんど緩まなくて、俺は抜け出すことに失敗した。そのことに苛立ってヒートを見たら、その目に滅多に見ない不穏な笑みが浮かんでいるのに一瞬動きが止まる。
「……痛いじゃないか。悪い子だな」
そう言う声も普段より低くて、背を冷たい予感が走る。反射的に身を引こうとしたら、急に体がふわっと浮いた感覚がした後背が床に当たる。引っくり返されたと理解するのに時間がかかった。見下ろしてたはずのヒートの顔が逆光になって、その後ろに天井が見えて、見えてからしまったと思った。この体勢からヒートの腕力を逆転するのは難しい。こんなに簡単に反転を許すべきじゃなかった。どんどん思いに反していく状況にまたイラつく。
いや、イラつき、じゃない、
「それにこんなことして…誘ってるの」
これは、焦りだ。
こいつがキレたら何をし出すか分からない奴なのは知っていた。冷や汗が落ちるのを止められない。
「ふざけんなよ」
その焦りが表に出ないように、殊更強く睨み付ける。
「先に仕掛けたのはそっちじゃないか…それに」
なのにヒートは全然動じない、どころか、俺の肩に手をかけて押さえつけてきた。
「そんな目したら逆にその気になっちゃうよ」
そう言うと、ヒートは俺の真上でこれ見よがしに舌舐めずりした。逆光なのにその目の不穏な光が増幅した気がして、思わず息を呑む。
「お返しだな」
ヒートは楽しげにそう言うと、俺の首筋に噛みついた。音まではしなかったけど、確かな痛みが皮膚に走る。

その痛みと一緒に、何かが切れた。

どうでもいいか、と思う。
こいつがそのつもりなら、どうせなら乗った方が得だ。

手を伸ばして、頭を掴んで引き寄せる。その歪んだ緑の目の斜め下――細い傷の凹みに舌先を捩じ込むように這わせてやった。
一瞬驚いた顔をするヒートに息だけで笑ってやれば、すぐにその目にぎらつきが戻った。


***********

『ダイヤモンドダストと手を組むぞ!チームの名前はカオスだ』
ガイアがジェネシスに選ばれた直後、バーン様が言った時のことを忘れられない。
それまでガゼル様のことはそんなに嫌いじゃなかった、というよりは、どうでも良かった。ほとんど興味がなかった。だからこそ衝撃がでかくて、でかすぎて、自分でも自分をどうしたらいいのか分からなくなった。
俺には子供っぽいところがある。それが全部ガゼル様とダイヤモンドダストの奴らに行った。そして対戦した雷門の予想以上の手応えのなさ。こんな程度の奴らと戦うために、こんな程度のチームと引き分けるような奴らと組まなければならなかったのか。何のために。

ヒートが俺の服を剥ぐ。こいつと寝るのは初めてじゃなかった。カオスを組むことが決まった夜、俺は半ば強引にこいつを抱き、その後キレたこいつに抱かれた。やり場のない思いを互いの体にぶつけ合った。

けど、あの時と今は全然違った。今こいつの中にはもうあの時みたいな嵐はない。

ヒートは予想以上のしつこい動きで俺の肩辺りを舐めていた。ざらつく舌が押し付けられて擦れて、快と不快の間のわずかに快寄りの感触に肌が粟立つ。それがヒートが降りてきて乳首に来た時、急にきつく歯を立てられて、がくんと快に振れる。
「…ッあ!…くそっ」
俺は腕で目を覆った。それを見たヒートがクスリと笑ったのが聞こえた。

ガゼル様は確かに俺より上だった。あの破壊力や決定力は俺にはないものだった。けどそれだってバーン様には敵わないと思っていたから、二人が並んでるのが許せなかった。ガゼル様がもし、バーン様より明確に下の位置だったらまだマシだったんだろうか。――いや、多分同じだったな。ガゼル様の存在自体を、俺は受け入れられなかった。

試合でダイヤモンドダストの奴らを無視したのも、そいつら自体というよりはガゼル様に対する仕返しだった。それなのに、ガゼル様は顔色ひとつ変えずにバーン様とファイアブリザードを打ってみせた。完全に見下された瞬間だった。

ヒートは左右を変えたり手を腹や腰に這わせたりしながら、かなり長いこと胸を弄んでいた。弾けきらない熱に苛立ちが増す。
「くそ……お前、しつこい…ッ」
俺はヒートの肩を平手で叩いた。
「…何、もう本番に行きたいの。やる気満々じゃないか」
ヒートが顔を上げて、またクスリと笑いを漏らした。その口調がからかうような響きを持ってて、またイラッとする。
「どうせ、やるなら、サッサとしろっつってんだよ」
俺は息が切れ切れなのを必死に抑えながら言い返した。下になってるからって、思い通りになんか誰がなってやるか。
「…少しは恥じらったりすれば可愛いのに」
つまんないな、と言いながら、言葉とは裏腹にどんな時より楽しそうな態度でヒートは笑った。その手がゆっくり下肢へ伸びていくのを、どこかひどく冷静な気分で見る。

ジェネシスがどうでも良かったとは思わない。けどプロミネンスも同じくらい重要で揺るぎないものだと思っていた。
実際は、プロミネンスなんて、こんなにあっけなく崩壊したエイリア学園よりもっと脆かった。

グラン様とかバーン様ガゼル様、目の前のヒートとは違って、俺はエイリアネームも本名のあだ名みたいなもんだったから、表向き何も変化のない毎日。なのに、一番大事なものだけが、ぽっかりと、

「…っく」
俺はまた腕で目を覆った。滲むものがどうしてなのか分からない。快感からなのか、それとも。――考えたくなくて、俺は与えられる刺激を追いかけた。意味なんかない方がいい。
「エロいな、余裕ないや」
言葉とは裏腹に余裕がありありと見える態度で、ヒートは自分の唾で濡らした指をそろりと後ろに伸ばす。ゆるゆると入口を解してから、慎重に指一本が入ってきた。
こいつはこういう時無理なことは絶対にしない。こんなイッた目をしてるくせに、見かけによらず凄い腕力あるくせに、こういうところでは見かけ通りに甘苦しいほど優しい奴だった。
「くっそ…まだるっこしいんだよ…!早く、しやがれ…!」
もどかしさを何とかしたくて喉から声を絞り出す。ヒートはそれを聞いて苦笑気味の息を漏らした。一旦指が引き抜かれる。
「さすがにまだ無理だよ…待ちなって」
そう言ってからヒートは身を屈めて、俺の熱を口に含み、同時に指を三本同時に差し込んできた。中で指がバラバラに動いて、急な物理的刺激に反応してそういう場所でもないのに徐々に湿ってくる。指は不規則に、けど確かな意志を持ってある一点を掠めてきた。その度に止めようもなく足が跳ねる。前をくわえこむ口に笑いのような動きがあった。畜生、次の時覚えてろよ、って思うけど、そもそも次なんてあるのかどうか。

ヒート。こいつは元々、プロミネンスの中でも、他の奴らとは少し違っていた。そもそもバーン様の幼なじみって時点で違うのは当たり前だった。俺はバーン様の次を誰にも揺るがされなかったし、譲ってやる気もなかった。こいつは、その立ち位置には障ることなく、気付くと斜めすぐ後ろにいつもいた。
実際のフィールドでの立ち位置も斜め後ろだったのが、カオスになったら隣になった。けどそれが全然不自然じゃなくて、それが凄く不思議な奴だった。

「ふふ…オレも限界だな…」
不意に口を外したヒートがそう笑って、ずるりと音を立てて指が出ていった。ヒートが自分の服を脱ぐ間、待っているだけの力を入れてられなくて、俺は横向きになった。準備ができたらしいヒートの手が俺の肩にかかった時、この体勢からならバックの方が早いと思ったのか加わった力が予想と逆で、でも逆らうのもめんどくさくてうつ伏せになる。
ヒートはその名前通りの熱を入口にあてがい、
「ほら、お待ちかねの本番だよ…ッ!」
そう言いながら一気に入ってきた。
「っア…!!くっ、そが…!!」
思わず声を上げて、それから何回目か知れない悪態をつく。
正常位よりこの方が圧倒的に楽だった。乱暴まではいかないけどそれなりの勢いで擦り上げられても痛みはなくて、むしろ欲しい快楽が直接脊髄を駆け上がって、理性が飛びそうになる。
「…ネッパー」
意識が散漫になってヒートが覆い被さってきてたのに気付かなかった。急に耳元で空気が震えて、思わず肩が跳ねる。
「ネッパー…ネッパー」
気違いみたいに呼びまくるわけじゃないけど、こいつはこういう時下でも上でも俺の名前を呼ばない時はなかった。逆に俺は上でも下でも名前を呼んだことは一回もなかった。こいつと俺は、共通点なんかプロミネンス以外ないくらい、全然違う人間だった。

それなのにお前はプロミネンスから抜けてくのか。
GK?冗談じゃない。お前の居場所は俺の前じゃない。斜め後ろにいろ、いろ、いろよ。

ヒートは俺を揺すりながら肩を掴んできた。何だか大事なものでも扱うようなその抱き方に目眩がする。どこまでお前は甘い、罵倒してやりたい気さえしてくる。やめろ、そう言おうと息を吸って、でも勝手に喘ぐ喉をその形にできないでいた、

ヒートがほとんど息だけで囁いたのはそんな時。

「な、つ…」

「――――」
思わず目が限界まで開く。


エイリアがなくなった後でも、誰も呼ばない俺の本名。

俺が守ろうとしてる中身のない殻。ヒートはそれを、呆れるほど気ぃ遣いながら、何とかそっと壊そうと。

「ッアァ…!!」
と思ったら次の瞬間から、動きが急に激しくなって、何かを考えようとする頭が快楽で白く塗り潰されていった。


でも、こいつは良くも悪くも、自分で壊しきれるような破壊力はない。

俺が大事にしようとしてるものは、俺自身が壊すのを黙って待ってる。

そんな奴だった。



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