後ろ姿

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晴矢がいつも上の方にいたのは変わらない。

子供の時は、病に沈むオレを明るく照らして引っ張り上げてくれた。

プロミネンスの時は、振り返って笑ってくれた。早くここまで来いよ、と。

でも、カオスになってから、その先もずっと、振り返ってはくれなくなった。

隣にあの人を手に入れて、自分自身が更に上を目指す野望に改めて目覚めたんだろう。


でもその頃にはとっくに、オレと晴矢の間には、プロミネンスの間から一度も振り返ったことのないあいつが、必ずいるようになっていた。

一度も振り返ったことはなかった。


***********

カオスと雷門の試合が没収されて、ほとんど何が何だか分からないうちに警察に保護され、そしてエイリア学園が崩壊したと告げられた。そんなこと急に言われても、すぐには理解できなかった。オレ達の全てだった父さん、エイリア学園が、もうない?
そして、保護された頃には晴矢とガゼル様は姿を消していた。二人は多分オレ達とは違う道で逃げて、警察からも逃げおおせたんだろう。死んだとか倒れてるんじゃないかとかいう風には、何故か思えなかった。彼らはプロミネンスとダイヤモンドダストのキャプテン、揃えば何だって見せてくれる、何だって可能にするんじゃないかって思わせてくれる二人だった。だからバーンの隣が埋まって振り向いてもらえなくなっても、それがガゼル様ならいい、晴矢にとってベストな道に違いないって納得したんだ。
でもネッパーはそういう訳にいかなかったらしい。バーンがガゼル様と並ぶのを最後まで嫌がっていたのも彼だった。そして今も―――前より無口になっていて何を考えてるか分かりづらいと周りには言われているけど、プレーを見れば一目瞭然だった。ネッパーは、あの二人が行方をくらませたことに苛立っている。
彼の立場だったらそうなるだろうなというのは理解できる。彼はずっとプロミネンスの二番手で、その座にきっと誇りさえ持っていた。それは頂点に立っていたのがバーンだからこそであって、入り込んできたガゼル様を簡単には許せなかっただろうし、その上急にいなくなられて自分の居場所さえ見失いかけているんだろう。

エイリア学園が崩壊してまたおひさま園になったこの施設で、結局オレ達がしてることといったらサッカーだった。そう簡単には変われないものなんだ。ジェミニストームからジェネシスまで、メンバーもバーンとガゼル様がいないの以外はそのままで、急に他のことに切り替えるにはサッカーが骨の髄まで染み渡り過ぎていた。そうして毎日、いい意味でも悪い意味でも目的のないサッカーを繰り返す中で、ネッパーの調子だけは下り坂な一方だった。
その日元セカンドランク(とは言ってもキャプテンだったから実力がないわけじゃないと思うんだけど)のレーゼからもボールを奪えず、ネッパーは練習が終わるや否や忌々しげに引き上げていった。
「ネッパー」
声をかけても振り返らない。前までならなかったけど、最近はよくある態度だった。
「厚石君」
そこで今度はオレが声をかけられて、驚いて振り返ったら、元ジェネシスのキャプテン、晴矢がずっと目標にしていたグラン様――今は基山ヒロトが、微笑んでそこにいた。
「何でしょうか…えっと」
「敬語なくていいんだよ、もう」
そうは言っても今まで頂点だったグラン様を急に呼び捨てでなんか呼べるわけない。でもそれは向こうも分かっているのか、彼は軽く苦笑した。何となく申し訳ないような気分になっていると、彼は本題を切り出した。
「君はここにきてからだいぶ力をつけてきたよね」
「いえ…はい、ありがとうございます」
「しかも何でもできる器用さもある。…それで、軽い提案なんだけどさ」
別に無理にとは言わないよ、と前置きして言われたその内容に、オレは耳を疑った。
「GK…ですか」
「うん、もし良ければね。砂木沼君がFWに本腰を入れたいみたいで、自分の代わりに力のあるGKを養成したいって言ってるんだ。君ならやればできるんじゃないかと思ってね」
「……」
オレはすぐには答えられなかった。今までマスターランクであるプロミネンスの一員を担ってきたのはMFという位置で、思い入れもないと言えば嘘になる。でも新しいことに挑戦してみたい気持ちも確かにあったんだ。
「少し…考えていいですか」
「もちろん。急がなくてもいいからね」
オレが歯切れの悪い声で答えると、基山さんは気にした様子もなくさらっと笑って走って行った。残されて、呆然と考える。GK、今まで考えてもみなかった選択肢。でもそれは確かにオレがそういう可能性も取れるほど力をつけてきたことの証だ。
自分が力をつけてこれたことは嬉しい。―――ただ一方で、心にささくれのように引っ掛かることがある。調子の悪いネッパー、力をつけてきたオレ。確かなプロミネンス二番手だったネッパーの背中が、いつの間にかこんなにも近い。
「……」
お節介過ぎると言われるかもしれないけど、このままでいいはずがない。オレはやっぱりネッパーと話してみようと思った。近付けるのは嬉しいけどネッパーが下がってくるからじゃ面白くもないし嬉しさも半減だ。やるなら一緒に上がって、その上でできるなら追い付き追い越したいと思った。そのネッパーに戻ってほしい。
オレは持っていたドリンクを煽って空にしてから、グラウンドから引き上げた。
頭の中は何て話そうか、そのことばかりだった。


***********

夕飯と風呂が済んで、間もなく消灯時間という時に、オレはネッパーの部屋のドアを叩いた。消灯時間を守る気はなかった。今日は話が済むまで帰らない。いつも優等生しているんだから、一日くらいいいだろう。
無視されるかもしれないと思ってたけど、意外にもネッパーは出てきた。風呂の後だからバンダナはしていなくて、ドアを半分開け、オレの顔を見て怪訝そうな表情になる。
「…何だよ、こんな時間に」
「たまには話したいと思ったっていいじゃないか。相談したいこともあるんだよ、付き合ってくれないかな」
追い返されるかなぁと思いながらオレが言うと、ネッパーは小さく舌打ちしたけど、ドアを引いてオレを部屋に入るよう促した。排他的に見えて、ネッパーはやっぱりどこか優しい奴だった。
「部屋きれいにしてるんだね」
「嫌味かよ、片付けてねぇよ」
ネッパーはそう言うと床に落ちていたクッションをオレに投げつけた。咄嗟に受け止めて遠慮なく座らせてもらいながら、さっきの話を思い出す。
『GKやってみないか』
「……」
カオスだった時に戦った雷門は、確か円堂守がリベロでGKは別の奴だった。オレはそのことに内心とても驚いていた覚えがある。フィールドの中でボールを持つのとGKは全然違うスキルが必要なはずだ。そこまで思い切った転換が、オレにもできるんだろうか?
黙り込んだオレにネッパーはまた怪訝な目を向けてきた。オレはそれをゆっくり見返す。こうして向き合っていても、オレに見えるのはまだネッパーの背中で、そこに追い付く前にGKなんかに転向するべきじゃないのかもしれないとも思う。
「…何だよ」
ネッパーが居心地悪そうに眉をしかめる。オレはこの気持ちをどう伝えたら一番いいのか分からなくて、結局こう切り出した。
「オレさ…さっきGKやってみないかって言われたんだ、基山さんに」
「――――」
ネッパーは文字通り目を丸くして絶句していた。言われたオレ自身だって予想を越えすぎていたことだったから、ネッパーがついてこれないのも無理はない。彼の硬直がある程度解けるのを待ってから、オレは肩を竦めて言った。
「どうしようか、迷ってるんだよ。急にそんなこと言われてもね」
そうしたら、意外にもネッパーの次の反応は速かった。普段は見えない眉間に深く皺を刻んで、
「やめろよ、そんなん」
出てきた声も数段低かったから、オレは思わず息を呑んだ。
「やめろよ。お前はMFだろ。その誇りも忘れちまったのか」
「……」
このことを相談して何て言われるか予想していたわけじゃない。でも、ここまで明確な反対を示されるとも全く思っていなくて、オレは言葉を失っていた。
誇り、そういう言葉で考えたことはなかったけど、確かにMFでやれるところまでやりたい気持ちもある。けど考え出したGKの道をこうもバッサリ切られると、そっちへの思いもかえって強くなった。
「やれることがあるなら挑戦してみたい気持ちもあるんだよ。誰にでもできることでもないだろうし」
そう言い返すようなことを言ってから、オレの語気は少し緩んだ。
「……けど、MFにもそりゃあ…こだわりというか、そういうのがあって…迷ってるんだ、凄く」
でもそう言っても、ネッパーの答えは変わらなかった。
「迷ってんならやめろ。GK転向がお前じゃなきゃいけない必要性を感じない。お前はMFだ」
「……」
とりつく島がないというのはこういうことを言うのか、ネッパーの態度は純然たる否定だった。
「…どうしてそこまで嫌がるんだ?ネッパーじゃなくてオレの話だよ」
浮かんだ疑問をそのまま口にする。この嫌がり方はまるで自分のことのようだ。ネッパーには珍しい反応だった。
「オレがGKになっても楽しいかもしれないじゃないか。オレの練習はネッパーのシュート練にもなるよ。それに」
「いいからMFに残れ!!お前はプロミネンスの6番だろ!!」
話し出したオレの言葉を遮るように、ネッパーは怒鳴った。オレは言葉を呑み込んでネッパーを見た。ネッパーはオレを見ていなかった。

プロミネンスの6番だろ。
その言葉で分かったような気がした。ネッパーの中で、プロミネンスのメンバーの問題はプロミネンスの問題、そしてそれは自分の問題なんだ。バーンがいなくなってエイリア学園もなくなって、他チームとの境界線をなくしていくプロミネンスを、自分の中で必死に繋ぎ止めようとしている。
「プロミネンスは…もうないよ、ネッパー」
オレはそう言って、ネッパーの背中に片手を伸ばす。遠く上の方に見えた背中が、今はうずくまってすぐ近くにある。そこに11番はもうない。どんなに閉じこもって守ろうとしても、もうないのだ。
「黙れっ…!!」
ネッパーは鋭く身を翻してオレを襲った、かと思ったら次の瞬間には組み伏せられていた。苛立ちにぎらつくネッパーの目を見上げながら、オレは目を丸くした。
「プロミネンスを…バーン様を置いてく奴は…いくらお前でも許さねぇぞ!!」
あぁ、とオレは思った。ネッパーの中で、プロミネンスという境界はこんなにも大事で根幹に関わることで、オレなんかが何言ったって、簡単に崩せるようなものじゃないんだ。それで自分が前に進めなくなっていることは彼だって分かってるだろうに、今オレを見下ろす目には、剥き出しの真剣みたいな迫力がある。こんなオーラを出せるほどに、彼の中では重大なこと。
自ら自分の未来を捨てて大事にしているものを守ろうとするその姿は、でもやっぱり、とても悲しかった。あぁ、こいつにオレは何をしてあげられるだろう。何かしてあげられることはあるんだろうか。

そう思ったら自分でも気付かないうちに、

彼の体を抱き寄せていた。





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