ガラス細工の誓約
!涼野が先天的女体化・大学生注意!
これの続き
何それ、良くない、あいつと同じじゃない、別れた方がいい。今までのことを知ってる身内や友達に南雲の話をしたら、返ってくる反応は十中八九そういう言葉たちだった。
「同じように見えるのは結果だけだよ。中身は全然違う」
「あのなぁ、DV男から逃げれない奴はみんなそう言うんだ。結果をもっと重く見ろ」
男勝りな言葉でそう忠告をくれる青い髪の友人、目の前の八神玲名は、とりわけ私の事情に詳しい。友人であると同時に恩人でもある。
「………」
だから彼女が言うことも大事にしたいし、言ってることを理解できないわけでもない。
説明して伝わることとも思えない。
でも、南雲は泣いてるんだ。
私を見る目が、降り下ろされる手が、殴りたくないと泣いている。
その目にも見えず音にもならない涙を目の当たりにする度に、違う、と、決定的に違うと私の心が叫ぶのだ。
それが何なのか、私の中で答えを見極めることもできないまま、暴力という結果だけを見て別れるということは、私の中であり得ない選択肢だった。
「でも、そうだね。私も流されすぎていたよ。私の側からも改善の努力をすることにする」
「……まぁ、それだけ分かっていればいい」
私が譲歩を示すと、八神は不本意そうながら引き下がってくれた。
彼女は、私の志を折ってまで引き離そうとはしない。いつも、私の命の安全が危ぶまれない限りは、危ない橋でも私の意志を尊重してくれる。だから安心して相談できるのかもしれない。
*****
南雲に突き飛ばされて捻った足がすっかり完治した頃、南雲は再び私の部屋を訪れた。
「どうぞ」
「…うん」
いつも以上に、南雲が居心地悪そうというか、後ろめたそうな顔をしている。部屋に入る前、廊下のプラスチック細工の残骸は片付けて、その場所が空白になっている、そこにチラと目を遣っていた。あれ以来初めて会うわけでもないのに、家に来ると改めて何か思うんだろうか。不思議と、それだけ物言いたげな態度を目にしても、彼が私に別れを告げたいとかそういうことではないのだという妙な確信があった。
「あのさ」
と思ったら、南雲がすぐに切り出して、鞄の中から何かを取り出した。
「これ」
マグカップ大のダンボールの箱だった。包装も何もしていないのが彼らしいけれど、どうやらこれを私に渡したいがために緊張していたらしい。
「…ありがとう」
私も突然のことに少し困惑してそれを受け取り、恐る恐るその箱を開ける。蓋の内側には、何やら厳重な緩衝材と梱包を施された中身が見えて、それを取り出し更に梱包材を剥がしていく。
「……これ、は」
淡い水色の、切子細工が細やかに施されたガラスの花瓶だった。
私は知っている。あのプラスチック細工でさえ、細工の細かさだけでそれなりに値の張るものだった。本物のガラスに同じ、いやそれ以上の繊細さで細工が施されているこれが、5万じゃ済まないだろうこと、それが南雲の財布にどれだけ打撃を与えたかということも。
「涼野」
呆然と花瓶を見つめる私の肩に、南雲はそっと両手を乗せた。
「これをあの場所に置いてくれ。これに懸けて、俺はお前をこれ以上傷つけない」
私は、それを聞いた瞬間、涙腺が決壊した。
南雲はおろおろしていたが、止めることができなかった。
彼は、私自身以上に、私を大切にしてくれているのだ。
それをこうして行動でも示そうとしてくれている。
それが、嬉しくてたまらなかった。
*****
それからの南雲は、自分で立てた約束通り、私に手を上げることがほとんどなくなった。
以前だったら振り返ると同時に手が上がっていたような場面でも、意図的に手に力を入れて押さえているのが分かった。
だが、南雲の暴力は、元々煙草で発散していたストレスが別の形になったものだ。それを無理矢理封印するだけでは、どこかで軋みが生じるのではないか。
「大丈夫なの」
「何が?」
「いや…その…ストレス、溜め込んでないか」
「ストレスはそーでもねえよ?けどこっちは溜まってるかもなァ」
「…下品」
けれど、そう声をかけてみたところで、はぐらかされたりそれに乗じて可愛がられるだけだった。
「……」
何だろう、私にとってはこの上ない状況のはずなのに、幸せなはずなのに、それが、そのことが不安になるなんて。
私には、幸福を享受する素質がないんじゃないだろうか。
そうやって穏やかな時が流れ、南雲が意識せずとも手を上げなくなってきた頃のことだった。
何の予定もなく一人で寝ようとしていた真夜中12時頃、突然ドアを乱暴に何度も叩く音がした。
この音、聴き覚えがある。
以前、南雲があのプラスチック細工を壊した日も、泥酔してこんな音で扉を叩いていた。
近所迷惑になるので、仕方なく鍵を開けて彼を家に入れる。
あの日と同じ、目は据わっていて、足取りも不確か、記憶が飛ぶほどの泥酔の様相は全く同じだった。
「大丈夫?」
「……」
「水を飲む?横になる?」
「……」
何を聞いても答えず、中空をねめつけているような淀んだ目をしているのも同じだ。これで確か前回は、ソファに座らせてコップに水を汲んで持って行ったら投げつけられたのが最初だった。
彼がこんなに浴びるように飲むことが多いわけではなかった。アルコール依存になっているというわけではないと思う。前回も今回も、確か近いうちに飲み会があると言っていたし、つい飲みすぎただけなのだろう。
そうして飲みすぎた時、南雲が記憶もないまま私の家に来るのはどうしてなのだろう。
彼の心の奥底に、私の存在はどうインプットされているんだろう。
コップを何個も無駄にする趣味もないので、今日はペットボトルの水を持って南雲の傍へ行く。
「飲みたかったら、飲んで」
と差し出すと、南雲はその暗く沈んだ目を私に向けた。
「……」
ここまでは、前回私の足をだめにした時と、まるきり同じ。
そして、私の手からペットボトルを引ったくり、振り上げるのも同じ、だった。
「………」
けれど、その続きがいつまでも顔に当たることはなかった。
振り上げた手で、ペットボトルを潰さんばかりに握り締めて、南雲は目を逸らさない私の顔を凝視していた。
何かと闘っているような目で、苦しげに私を睨みつけていた。
あぁ、彼は守ろうとしているのだ。
私を守るための誓約を、破るまいと戦ってくれているのだ。
「…はるや、」
自分でも驚くほど湿った声が喉から滑り出た。南雲はまだ苦しんでいるような表情を変えない。
今のことだって明日には覚えてないだろう、今彼の理性はどこにもないだろう、それでもその本能の奥でまで、南雲は私を守ろうとしてくれている。本当に大事にして、愛してくれている。
失敗に終わる彼だって嫌いにはなれなかった。振り下ろされる痛みごと愛してしまっていた。
けど、それを何とか乗り越えて私を守ろうとしてくれているのを見たら、もう愛しさしかこみ上げてこないのは自然なことだ。
私は両手を南雲に差し出した。自分の目尻から、また涙が溢れたのが分かった。こいつのせいで私の涙腺はめちゃくちゃだ。
こんなに私を泣かせた男は、君しかいない。
「わたしを、きみのものにして」
***
ペットボトルを投げ捨てて、私を掻き抱いた獣のような君は、明日には今のことなんて覚えていないだろう。
でも、責任は、とってもらうよ。
指輪の代わりに、あの花瓶で心の薬指を縛って、永久に君に捧げるから。
Happy Birthday!みそなめさん 2012.11.25
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みそつむり様に誕生日に差し上げました…(´∀`)今年は…何とか…間に合いました…