ガラス細工の報復


!涼野が先天的女体化・大学生注意!


先週と同じ、涼野の家の呼び鈴を押したのは日付が変わるくらいの夜中だった。
違うのは、先週は正体なくなるまで酔ってたけど今日は素面だ。
何したかちゃんと覚えてないけど、多分迷惑掛けまくったんだろうなぁ、またゴメンからスタートしないと。

***********

初めて会った時の、誰もをゴミを見るみたいな目で見るその青緑の透明感は妙に印象に残った。
俺はMっ気なんてカケラもない、どっちかって言うと喧嘩っ早くて自分より体格いい男を捻じ伏せる方が好きで、女に対してはどうかともかく、それまで見下されることは大っ嫌いだった。なのに、その目には不快を感じないどころか興奮に近い何かを覚えた。
同じことは、外国語で振り分けられたクラスの、他の男もみんな思っていて、『涼野は超美人だけど手に負える気がしない』――これがどの男に聞いても返ってくる共通の答えだった。

入学して二ヶ月くらい経った時、大学のボロい食堂で、俺が誰か食う相手を探してる時、涼野が凛と背筋を伸ばした姿勢で一人で食べてるのを見掛けた。最初はいやいやいや、と思ったんだけど、他に相手を見つけることもできず、また同じクラスなんだから声掛けて刺される筋合いはないだろうと、その時何故か急に大胆になって、俺はその目の前の席に歩いていったのだった。
「なぁ、ここいい?」
涼野は目を丸くしていた。思いつきもしないという風情だった。

話してみると、時折辛辣なことは言うけど、そう常時攻撃的というわけでもなく、また笑うとすごくカワイイということも分かり、俺は自然と涼野を好きになってしまった。涼野の方がどうかは、表情だけ見てても分からない。けど、全く歓迎されてないわけでもない、ということは確かで、俺でダメなら他の男はもっと無理だろう、みたいな消去法の自信はあった。
「なぁ、俺と付き合ってよ」
そんな感じで少し仲良くなってきた高嶺の花に、当たって砕けるつもりで体当たりしたのが去年の秋。人生懸けるくらいの勇気使って、脈速すぎて心臓破裂するかと思った。
「…ひとつ条件がある」
「え?」
「煙草をやめてくれたら、いいよ」
そう言った涼野の、少し嬉しそうな美しい笑顔は、そのためなら煙草なんて簡単にやめられると思うようなインパクトは軽くある顔だったのだ。

けど現実はそう甘くもなく、死ぬ思いをして煙草をやめた、ってところまでは良かったんだけど、その代わりに俺は何にでもすぐキレる短気を身につけてしまった。
で、元々喧嘩っ早いもんだから、キレると同時に手が出てしまう。
あれだけ、告白に命削るほど好きで、今だってこんなに好きな涼野にまで、自分では気付く前に、手を上げてしまうのだ。
「君のソレは、私の責任だからね」
知らない間に殴ってしまって、俺が謝る度に、涼野は相変わらず透明な笑顔を浮かべてそう言うのだった。
思ってたよりずっと強かな、芯の強い女だということが分かって、俺は改めて惚れてしまった。
そして絶対、この手が上がる癖を治さないと、そう思った。

涼野は俺と同じで一人暮らしの下宿だった。初めて部屋に上がった時、狭いけどきちんと整頓されてて、廊下には細かい細工の置物がたくさんあって、俺の部屋とは随分違う趣味のいい空間になっていた。
「これガラス?」
「ううん、プラスチックだよ。透明だけどね」
だから見掛け倒しさ、と言って涼野が俺に淹れてくれたコーヒーは、どこも見掛け倒しなんかじゃない、深くて上品な香りがした。
「美味い」
知らず知らず呟いたら、涼野は少し頬を赤らめて微笑んだ。
「君が来るって言うから、高いの買ったんだよ」
その仕草が思いもかけず愛しくて、思わず抱き締めた銀の髪からも、同じコーヒーの香りが漂って、あぁやっぱり俺にはもったいないくらいの女だなぁと思った。

付き合ってから一ヶ月弱経った頃、俺は涼野を抱くことを初めて許された。
その時、俺は少し浅黒い彼女の素肌を見て、こいつが煙草を嫌う理由を知った。
「本当は…熱いものは、煙草とか火に限らず全部大嫌いだった。けど、……君はアツい奴だったけど、どうしても嫌いになれなかった」
月しか差し込まない夜の寝室でそう告白して、一粒だけ涙を零した涼野が、やっぱりきれいで仕方がなかった。俺は思わず裸のままの涼野を抱き締めて、キスして、気付いたらもう止まらず肌を辿って、もう一度愛してしまってた。

それまで涼野があまりにきれいな女だったので躊躇してた部分もあったのに、一度体を交わしたら瞬く間に夢中になってしまった。デートに行く間を惜しんで涼野を抱いてる日さえあった。
香り立つ肌も、適度にでかくて少し硬い胸も、くびれの良い腰、肉づきがいいけど締まった脚、しっとり湿って柔らかい女も、どこもかしこも俺を貪欲にさせた。
何より、こんなに殴ってばっかの俺に愛されて、幸せそうに控えめな歓びの声を上げる涼野自身が、愛しくて堪らなかった。
たとえ怒りの頂点にいたって、涼野がキスをしてきて、涼野の体に腕を回して、涼野の首筋に口付けて、涼野の胸に至った手に手を重ねられたら、もうそれ以外どうでも良くなってしまうのだ。


***********

「ちょっと待って」
ドアの向こうから声がして、しばらくガタンガタン音がした後、ようやく鍵が捻られる音がした。おいおい大丈夫か、と思いながらドアを引いたら、涼野は右足に包帯を巻いて現れた。
「お待たせ。どうぞ」
驚く俺を涼野は全く気にした様子なく、右足を引きずってヒョコヒョコ歩きながら部屋の奥へ戻っていく。ドア閉めて鍵をかけ、言われた通り家に上がり後に続いたら、廊下の置物の一個が壊れてる。アレ、これガラスじゃないから壊れないんじゃなかったのか。プラスチックだよ、見掛け倒しさ、涼野の言葉を思い出しながら何とはなしに手を伸ばしたら、思った以上に鋭利だった破片で指先が切れた。
「痛ッ」
俺の声に気付いて涼野が振り返る。俺は廊下から部屋に入りながら指先を舐めた。
「大丈夫か?」
「何アレ、いつ壊れたの」
「あれって、廊下の?」
「そう」
涼野はしばしポカンとしていたが、それから何とも言えない息を吐くような仕草の後、引き出しの奥から救急箱を引っ張り出した。
「君が壊したんだよ」
「は?」
俺は自分の耳を疑った。あの置物は俺だって結構気に入ってたんだ。繊細でキラキラ輝くきれいな細工。そんなことするはずない。
「え、いつ」
「先週。そうか、覚えてないの」
涼野は救急箱を開けながら、そう言えば君相当酔っていたもんねぇ、と納得したような声を出した。
「……」
咄嗟に謝罪も出てこなかった。いくら酔っててもアレを壊すとか、俺は一体何考えてたんだ。
「君に壊されて、あの子も仕返ししたかったんだね」
消毒薬と絆創膏を取り出し、またヒョコヒョコ右足を引きずりながら俺の方に戻ってきて、いてぇよとか言う俺の指に遠慮なく振りかけながら、涼野は何か感慨深げにそう言った。
「……」
俺は嫌な予感が背を走るのを感じた。まさか。
「おい、その、足…」
「……、」
恐る恐る口にしたら、涼野は答えず、俺から目を逸らすように指に絆創膏を巻いた。
やっぱり、そうだ。この足も、俺が。

あぁ、何てことだ。何度も直そう直そうと思いながら直らない殴り癖だけではなく、俺は酔って正体なくしてこいつの足にまで危害を加えていたってことだ。
それも、まともに歩けなくなるような類の、一目見れば分かるようなことまでやっちまったというのか。

思わず涼野の足元に崩れ落ちて、ゴメンゴメンと壊れた機械みたいに繰り返す俺を、涼野はしばらく黙って見下ろしていた。
「……」
その沈黙が怖かった。ついに俺は愛想を尽かされたんじゃないだろうか。
「南雲」
と思ったら、涼野の声が上から降ってきて、俺は弾かれたように顔を上げた。
「今日、こんな足だからしゃがめないんだ。立ってくれないと困る」
もう今の俺は彼女の望みなら何でも言うこと聞かないわけにいかない。すぐさま起き上がって直立する。涼野はそんな俺を見てくすりと苦笑した。
「君はいつも言葉だけだ」
「はい…」
「言葉で謝って済んだらラクだよね」
「はい……」
涼野の言葉は辛辣だったけどその通り過ぎて、でも語気が穏やかでかえって怖い。あぁ、クソ、先週の自分を、いやその前からずっと、ほんとに恨みたい。なんで手を上げないなんてこんな簡単なことが俺はできないんだ。
と思ったら、涼野の手が俺の両頬にするりと伸びてきた。
「!?」
驚く俺の目に涼野の微笑みが映り、それがすぐ見えなくなったかと思ったら、唇に柔らかい感触。
「私を壊したら、切り傷だけじゃ済まないよ。君を道連れにしてあげる」
すぐに離れて、今度は蠱惑的な微笑みを浮かべた涼野が、あぁ、あの時と同じ、俺の影に隠れて、月の光だけに照らされてた時と同じようなわずかな光を反射していた。
「死にたくなかったら、早く直せ」
そう言ってもう一度キスしてきた涼野に、俺は応えながら、あぁ確かにこいつは俺と違って、狙った相手を一発で仕留めそうだなぁと思った。

もし涼野に殺されて死ねるなら、勢い余って壊しちまっても悪くない死に方ができるかもしれない。
けど、それももったいないから、やっぱり直す努力はしないとな。


みそなめさんへ Happy Birthday*2011.11.25

back

みそつむり様に半年近く遅れて誕生日に差し上げました…最も誕生日から遠い季節にとかクズすぎてスミマセン…