焔刃氷華
-5-
何度目か分からない眠りから目覚めた時のことだった。
上半身を起こすと、右下腹辺りの肌に違和感を覚えた。
その辺りは背中の次に痕が多いところだ。
試合が途中で終わってからそのままここだったから、汚れたユニホームと擦れていい加減痛痒い。見てどうなるものでもないのに、ユニホームの裾をめくってそれを見てみる。触ると汗と汚れで少し埃っぽい層ができているのが分かる。そし
てその下にわずかに異なる感触と明らかに異なる色。
この経験を振りかざして憐れみを引きたいわけではなかったし、同情によって本気を出してもらえないのはもっと嫌だったから、考えないように割り切って、誰
にも悟らせずにきたつもりだ。概ねうまくいったとも思っている。幸い、袖をまくっていても見える位置には痕がなかったから、自分の態度に出しさえしなけれ
ばよく、そのため誰にも見破られたことはなかった。腕を出していたのが逆に怪しまれなかったのだと思う。それを狙ってのことでもあった。
けれど――だからと言ってなかったことにできるほどではなかった。こういう時には物理的にも気になるし、痛みや恐怖も思い出される。
『風介』
あぁ、そう、顔は覚えていないけれど、
『風介、おいで』
声は鮮明に覚えている、高くも低くもない男の声。
「……」
無意識に指先に力が入っていた。恐怖が水面下でじりじり嵩を増していく感覚が迫ってくる。これが本格的に鎌首をもたげてくる前に、何とか収めてしまわなけ
ればならない、大丈夫、いつもそうしてきただろう?独りになったらできなくなるなんて甘えだ。息を意識的に吸って、吐いて。
そうやって、自分の中に沸き起こる負の思い出と戦っていた時。
『それ』はやってきた。
「ガゼル様」
ここにいるはずのない、仲間の声。
「…?!」
ギョッとして振り返ったら、扉の前にベルガの姿があった。
「ガゼル様」
アイキュー。
「ガゼル様」
フロスト。
「ガゼル様」
ブロウ。
「ガゼル様」
アイシー。
「ガゼル様」
バレン。
一人ずつ、私の視界を外して現れる。直感的に、これは本物ではないと思った。本物の彼らなら、こんな風に現れられるわけがない。
(何だこれは…幻覚?だが何故急に…)
今、私を取り囲むように立っている6人。皆、カオスに連れて行けなかったチームメイトだ。
「ガゼル様、どうして私達を捨てたのですか」
「捨てたのですか」
「ですか」
「のですか」
6人がバラバラに同じことを言った。じりじりと近付いてきて輪を縮めてくる。私は一人一人を睨み付けて観察した。姿形は本人達と寸分の違いもない。では一体
何者なんだ?彼らが何なのか、情報を拾うだけのつもりでいた。
「捨ててなど…いない」
一方で、気付いたら私はそう答えていた。ずっと気にしていたことだった。バーンと組むために一番犠牲にしてしまったのは彼らだ。控えもいない、誰が欠けて
も成り立たなかったチームから、選ばなければならなかったのは苦しかった。ちょうどその6人。本物にそう詰め寄られてもおかしくない仕打ちをしてしまった6
人だ。
「捨ててない?では我々は何なのです?」
「捨てたではありませんか」
「我々よりバーン様を取られたんだ」
「私達ではジェネシスは無理だと思われたんでしょう?」
「たとえカオスがジェネシスになっても我々は何にもなれなかった」
「あなたが捨てたからですガゼル様」
そうしたら彼らは畳み掛けるように言葉を並べ立てた。
「……」
本物であれば決して言わないこと、だがそう言われたら返す言葉などあるはずもないこと。全てその通りだから――いくら綺麗事を言ったって、バーンのために
彼らを犠牲にしたのは事実だから。
「ガゼル様」
6人の輪がどんどん縮まっていく、その外側から、それ以外の声がした。
輪の外に、クララ、ドロル、リオーネ。そして背後に急に何か当たる感触があって、見上げたらゴッカがいた。カオスに連れていった4人。
「お前達…」
「ガゼル様」
ゴッカは私を見下ろしながらニッコリと笑った。彼は体は大きいけれど優しい男だった。そんなところまで本物と同じだ。
ゴッカから正面に目を戻したら、6人の輪の外側にいたはずの3人が輪をすり抜けて、目の前に来ていた。
「ガゼル様、」
その中でクララが更に一歩前へ出てきた。
「どうして気付いて下さらなかったの…」
彼女は無表情だった。特に責めるような目はしていなかった、けれど。
「私達がプロミネンスの奴らにのけ者にされていたことに」
「……」
「前までのガゼル様だったらすぐに気付いて下さったのに」
彼女だけでなく、その後ろのリオーネとドロルも同様に頑ななほどに無表情だった。
バーンも私も、チームメイトが分裂しているのに気付くのが遅れたのは確かだ。私達自身が気持ちを一つに保つのに精一杯で気が回らなかった。この期に及んで
そんなバカな真似をするはずがないとチームメイトを過信してもいた。
「あんな下らない挑発に、乗ったお前達もお前達だろう」
今でこそジェネシスに手が届かないことは決まってしまったけれど、あの時点ではどんなことより結果を示すことが第一だった。一度引き分けを経ている私のチ
ームは、言わなくてもそんなことは分かっているだろうと思っていたのに。
「…ガゼル様は…我々のことなど二の次になってしまったんですね」
それを受けてか、そう口を開いたのはドロルだった。
「そうは言ってないだろう!」
思わず声が荒くなった。ジェネシスを目指すためには時に苦渋の選択をすることがあり得るのなど、誰もが承知していたことだ。
「本当に…?ガゼル様はバーン様の方が大切になって…私達のことなど要らなくなったのではありませんか?」
「…!!」
リオーネがギョッとするようなことを言い出して、次の言葉を言おうとしていた息が喉に引っ掛かかった。
その隙にとばかり、チームメイトは畳み掛けてきた。
「あんな連携技まで編み出して」
「私達には知らせて下さらなかった」
「私達がのけ者にされていたのに気付いて下さらなかったのもバーン様に夢中だったからなんでしょう?」
「違う!!そんなことはない!!」
確かにバーンと分かり合えたことは嬉しいことだった。全力でやり合っても返ってきた。遠慮せずプレーできることは本当に楽しかった。
けれど、そんなこと。このチームよりバーンが大事になったなど。
しかし彼らは耳を貸す様子がない、どころか、ついに私の体にまとわりついてきた。その血の気の感じられないペタペタした感触にゾッとする。
「違うと言ってるだろう!!やめろ、離せ!!」
だが振りほどこうとしても身を捩っても、ますます強くなっていくばかりでびくともしなかった。
「そんなにバーン様が大事なら」
クララが私をすぐ下から見上げながらうっすら笑って、
「私達と一緒に火に支配されてしまえばいい…」
そう言った途端、
その顔が、ずるっ、と焼け落ちたものに変わった。
「――――!!」
クララだけじゃない、私を取り囲んでいるチームメイトが、誰もが、
「…ひ……っ…!!」
思わず喉が変な風に鳴る。
すると、焼け落ちたチームメイト達からクスクス笑う声が漏れては重なり、
それと共に、小さな火種が彼らの体から沸き起こって、
「うふふふふ」
「ふふふふふ」
声と共にその火が大きくなっていった。
火。
大嫌いな、あの灼熱。
「い…やだ…やめろ…離せ…!!」
本能的な恐怖に勝てず、焦りと混乱ばかりが増して、必死に暴れて逃れようとした。だが最早ピクリともしない。
次の瞬間。
一気に火が燃え上がって、チームメイトを焼き尽くし、そのまま私の体に襲いかかった。
「あ…ああ…」
その炎は斬りつけるように、
「ぎゃあああああああっ!!」
同時に舐め上げるようにしつこく、
私を焼いた。
その炎は実在しないために、死の安息さえ訪れることがなく、
バーンが私を引っ張り出してくれるまで、ずっと、焼かれ続けていた。
***********
「幻覚だとは分かってたけど…恐怖と苦痛に逆らえなかった…情けないものだ」
下手に火の温度を知っているものだからね、とガゼルは自嘲気味に苦笑した。その声はまだ震えてた。
なんでガゼルが幻覚なんかでそんなにまでなっちまうのかと思ってたけど、当たり前だ。俺は何も言えなかった。俺の見たのなんかとはスケール違いすぎる。そ
んなんタバコの件とかなくて火を武器にしてた俺だって、聞いただけでもゾッとする話なのに、火にトラウマがあるガゼルが正気でいれたらそっちの方が異常だ
ろ。
「…君には…迷惑をかけたな」
俺が何も言えずにいたのをどうとったのか、ガゼルは何とも言えない笑いを浮かべてそう言った。
別に、逆なら助けに来てくれんだろ?そう言いたかったけど、声がうまく出てこなかった。
今、幻覚に勝てなかったっていう事実があったあとの今こそ、一番強く思う。ガゼルは強い奴だ。めちゃくちゃ強い奴だ。でも、この気持ちをうまく言葉で言い
表せる気がしなかった。
ガゼルは、少し目を伏せてから、晴れた空を眩しそうに見上げた。湖のほとりだから空がよく見える。片手で軽く目をかばいながら、太陽の方向を見ていた。
そして不意にそのままこっちを見て、
「…君のアトミックフレアの方角的に、今は4時過ぎたくらいかな。もうすぐ日が暮れてしまうね」
しっかりした顔つきで微笑んできた。
「……」
いつも通りの強気めいた微笑みは、
今見ると、めちゃめちゃきれいだった。
男に使う感想じゃないかもしれねぇけど、すごくきれいだった。
「…食いもん探したりしなきゃなってことか」
取って付けたように返事だけしたら、
「あと火も起こさないとね」
ガゼルはそう言って、少し悪戯めいた目をした。
「…」
このタイミングでそういうこと冗談っぽい感じで言えちまうところが、
やっぱ最高だよ、お前。
「…そーだな」
俺も、ようやく笑い返すことができた。
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次こそエロのターンが来る…OH…