暗黙を破る者
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ガゼルの喉から漏れてきたのが本気でビビッた声で、俺までちょっとビビるところだった。
ここまでこいつがビビるとは思わなかったけど、もしそうだったとしても頷けると言えば頷ける。今まで互いの領域に踏み込んだことなんかなかった。ここに俺がいることを想定してはこないだろうから。
「バ……ン…!」
腕の正体が俺だと知ると、ガゼルは純粋な驚きの中に怒りの混ざった複雑な声を出した。俺はどんな顔をしてたんだろう、多分笑ってたんだと思うんだけど、俺の顔を見てガゼルが息を呑むのが腕越しに分かった。わずかに混ざる怒りが何に由来するのかは明白だ、暗がりに弱々しく光を反射する青い目は、人の縄張りに勝手に入り込んで、と詰っているように見えた。そういう趣旨のことを言われるんじゃないかとも思った。でも実際には、ガゼルが俺を追い出そうとする素振りは全く見せなかった。
「…何故、ここにいる」
代わりにようやく普通の言葉が出てきたが、その声色は完全に平静に戻っててどう思ってるのかはいまいち分からなかった。
何て答えようか、俺は決めてなかった。その問いが来ることは分かってたけど、答えは考えてなかった。ただ怪訝な表情で俺を睨むこのずぶ濡れのガゼルが、明日から同じチームになるってことだけを考えてた。
初めてガゼルの嵐好きを知ったのはいつだったか、確か誰かから聞く前に自分で見つけたんだったと思うけど。暴風雨が来るたびにフラフラ歩き回っては大抵この場所に入り込んでいくガゼルを、俺は何度も見かけていた。台風来ると興奮するよね、と話題に上がることはあっても、俺みたいに外に出て濡れるのが好きだなんて奴に、チームの中でもそれ以外でも会ったことがなかった。それが、よりによって全然違うと思ってたガゼルにそんな面があるなんて思いもしなかった。
それまでダイヤモンドダストのキャプテンって認識しかなかったガゼルに、俺は興味を持つようになった。こいつも基本俺と同じで、そもそも嵐の日に外にいるのが好きで、それが嫌なことと重なった日にはリフレッシュのためにも必ず濡れに出てきていた。嫌なことがあった日かどうかは、見てれば分かった。何もない日はそうでもないけど、何かあった日にはこいつは空から目を逸らそうとしないのだ。睨んでるみたいに。
馬鹿な奴だなぁ、と俺は思った。そうやって、『折れない』ことを体現することでしか、弱った時を乗り越えられないんだ、こいつは。まぁまだ俺もこいつも14歳、どこかしか不器用なところはあって当たり前で、俺だって多分他の奴から見たら相当滑稽に見える部分もあるんだろうけど、そうしているガゼルは、必死に折れないでいるのに、どんな時より脆くて崩れそうなのだった。
俺だけがこいつを見てるんじゃフェアじゃないかと思って、ある時俺はわざとこいつに俺を目撃させた。一度だけでなく、何度か。嫌なことがあった日も、そうじゃない日もまんべんなく、それでこいつと同様俺が縄張りにしているところがどこかも推測できるように。
案の定と言えば案の定、こいつは絡んでは来なかった。まぁ俺も絡みには行かなかったし、それがルールだと勝手に思ったんだろう。どうせ最後には戦って蹴落とし合う相手だ、分かり合うことに意味はない、と向こうが思ってるのも分かった。別に俺はそこまでこだわっちゃいなかったけど、まぁ絡んだり絡まれたりしたところで話すこともなかったし、向こうが考えてることは間違っちゃいないし、構いはしなかった。ただ漠然とつまらないなとは思っていた。あんな空を睨むしかできないくせに、あいつはやっぱり一人でいることを選ぶってのか。
まぁそうやって何事もない時期が過ぎて、ジェネシス計画が本格始動してからは俺もガゼルもそんなどうでもいいことには関わっていられなくなった。まぁ相変わらず嵐の日に外出てはいたけど、姿を見かけることも少なくなっていた。しばらくは俺らマスターランクの出番はなく、実験台にされちまったセカンド・ファーストが宇宙人を演じる日々が続く。
そして俺らにお鉢が回ってきた、ってなった時、意外にも一番最初に動いたのはガゼルだった。まぁそれまでガイアが勝手に仕掛けたりしてたこともあったし俺も様子を見に行ったりしたし、厳密に最初じゃあなかったかもしれないが、エイリア学園として正式に雷門に宣戦布告したのはマスターの中ではダイヤモンドダストが初めてだった。そしてその試合で、あろうことかガゼルは引き分けた。
ダイヤモンドダストにとって、最悪じゃない中ではこれ以上絶望的な結果もないだろう。事実、そのあとほとんどすぐに、ダイヤモンドダストはジェネシス候補から脱落した。ガゼルは相当テンパって選択を誤った、なんて言ってたけど、まぁ自業自得であることは分かってたのか、悪あがきらしい悪あがきもなかった。近いうちに追放されるのだろう、そうしたらあとはガイアとプロミネンスの一騎打ちだ、と思っていた。
ところが蓋を開けたらどうだ、俺は舞台に立つ権利さえ与えられる前に幕引きだ。これは理不尽に過ぎる、暴れたって文句言われる筋合いはねぇだろう。でもそれでも最初ガゼルのところに行った時はそんなこと考えてもなくて、ただイライラをぶちまけようと思っただけだったのに、ガゼルは妙に淡々としていた。殊更に引き分けたお前と負けてない俺、と強調したけど、それでも何の動きもなかった。まるでそうなることが分かってたかのようだった。
諦める気なのか、そんなスペックを持っていながら?そう思ったら腹が立って、気付いたら連携を持ちかけていた。ほとんど本能的にそう言った。まさかこう転ぶなんて、自分でも思っていなかったことだった。
そこでこの大嵐だ。
同じように嵐を好むガゼルとの関係は、これからは今までとは違うものにならざるを得ない。それを示してみたくて、敢えて今まで触れてこなかった奴の内側に土足で踏み込んだ。どうだろう、追い出されるだろうかと思っていたら、案外そうでもない、今ココ、だ。
「…私と組むのは、嫌だったのか」
と思ったら、答えない俺に業を煮やしたガゼルが続けて言ったのはそんなことだった。俺は思わず眉を寄せた。
「なんで?」
声が不機嫌になったのを、ガゼルはどうとったのか、あまりその声に動きはなかった。
「君が嵐に吹かれるのは、嫌なことがあった時じゃないのか?」
あぁ、それでか。俺が外に出てるってことを、嫌なことがあった時と捉えてたなら、俺がここにいるのは当然今日の出来事を洗い流すためだと思うわけだ。まぁそりゃ嫌なことがなかったではない、今日俺は戦力外通告を受けたんだからな。けどそのことならまだともかく、まさか自分から連携持ちかけといてそれが流さなきゃいけないほど嫌なはずないだろうが。こいつ根は相当卑屈な奴なんだろうか。
「違ぇよ。単に嵐好きなだけだし」
「…そう」
俺が答えると、ガゼルはやっぱり表情にも声にも全く変化がないまま、シンプルな相槌をした。何を考えてるのかはやっぱりさっぱり分からなかった。
「それとも何、お前こそ嫌だったの」
「違う」
何か動かしてやりたくて意趣返しのようなことを言ったら、それには即座に強い語調で否定が返ってきてちょっとびっくりした。
「そんなはずないだろう…本当は今日は出てこないつもりだった、嵐に打たれる必要なんか少しもないし…強いて言うなら浮き足立ちそうになる頭を冷やすためだ。今だって夢でも見てるんじゃないかって気分なんだ」
驚いて言葉をつぐむ俺と対照的にガゼルはすらすらと言葉を並べ、たかと思ったら、
「もう、諦めてた、のに」
急に声が途切れ途切れになった。この大雨でぐしょぐしょ、暗がりだからよく見えもしないガゼルの顔に、なぜか雨以外の水が一筋流れたのが、色違いに見えた気がした。
「……」
俺は何も言えずにそれを見つめた。ガゼルの涙、ガゼルと涙なんて今まで一番結びつかなかった単語同士だったのに、何故だかすっと心に落ちた。こいつはずっと独りで覚悟してたんだ。チームを背負って守ること、自分の存在を戦力としてチームに、ひいてはあの人に捧げること、それにこれから本格的に死を宣告されることも。前二つは俺だって凄いよく分かる、だからそれがどれだけ壮大なものなのか、それこそ涙一粒なんかじゃ足りないくらいでかいもんだってことは痛いほど伝わってきた。
ガゼルは俺から目を逸らそうとしなかった。空を睨んでた時と同じだった。ひょっとしたらあの時だって雨に紛れて泣きたかったのかもしれない、けど本当に涙を流したのは何となくこれが初めてなんじゃないだろうかと思った。今まではたった独りで終結してた目を、今は俺と交錯させて、たった独りで詰めてただけの息を、今は俺に向かって音にしてるんだ。今までの殻の中から、一歩進んでこようとしているんだ。
だから俺も目を逸らすまいと思った。受け入れてやろうと思った。
と思ったのに、
「……え」
俺も気づいたら雨とは違う温度の筋が頬を伝っていたのだった。
受け入れてやる、とか上からなこと思っておいて、その実俺も同じ、寂しがりだったのだ。
「意外だな…」
ガゼルがそこでそう呟いたのが聞こえて、俺は急に顔に血が集まるのを感じた。顔色には出にくいから赤くなんかなってないとは思うけど、オイなんで言うんだよ俺だけこんなハズイ思いしなきゃいけねーんだ腹立つ!
「おまっ…人が触れないでいてやったのに自分は踏み込んでくんじゃねーよ!」
「はぁ?それはこっちの台詞だろう、勝手に待ち伏せしておいて」
言い争う声が二人とも完全にいつも通りで、けどこんな本音に近いものをさらけ出してぶつけ合ってるなんて昨日までじゃ考えられなくて、あぁマジでダイヤモンドダストのガゼルと組んじゃったんだなぁと妙な実感が腹に落ちる。明日から急にチームメイトってったってこれからどうやって関係を構築していきゃいいんだろう、よく知りもしないのに。
でも何となく、本当に根拠なんか何もないけど、俺たちは根っこの部分は同じなんだろうなぁって思えた。
だから不安はなかった。うまくやれる、爆発できる、こいつと一緒ならどこへでも。そう思えた。
言い争いは長くは続かなかった。互いに声もなく、どちらからともなく笑みを浮かべる。何か企んでそうな悪そうな笑み、でもそれがこれから俺のものにもなるんだなぁと思うと。ホントガゼルの言葉通り、現実味がない。
「…今まで、苦しかったんだなぁ…」
「…そうだね」
「流していくか」
「あぁ」
掴んだままの腕を離したら、ガゼルは俺の隣に腰を下ろした。二人で夜の嵐の空を見上げる。風は木をバカみたいに躍らせてるけど、俺たちの髪も服も貼りつき切っててこれだけの風でも微動だにしなかった。狭い場所なので手は重なってて、何となくその指を引っ張ったら驚くほど自然に絡み合った。
あぁこんなことでもなきゃ、俺とこいつはバカな殻さえ破れなかったんだなぁ。一人なら苦しくても二人なら、こんな簡単なことに気づくこともなくて。
「バーン」
「あ?」
「一度しか言わない」
「おお」
「キャプテンは君に譲ってあげるよ」
「…は?」
多分これからは、間違えなくて済むだろう。
まだたった14のガキなんだから、無理矢理背伸びしないでガキらしい泥臭いやり方で強くなれば、それでいいんだ。
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台風って何かwkwkしませんかというところからのお話です