暗黙を破る者


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嵐の日は心が躍る。警報が来ると早く下校したり、学校自体が休みになったりする。雨風にもまれながら下校するのも、安穏とした部屋の中から吹き荒れる外を眺めるのも、なぜか楽しい。子供ならばほとんど誰もが思ったことがあるはずのことだ。
14歳は大人と子供のちょうど間だ。私たちは破壊活動の駒であれ、優秀な兵士であれと要求されているけれど、それでもそれらに対して大人の負うような社会的責任は求められていない。負っているのはもっと直接的な、明日の自分や仲間を生かすための責任。不自由しない生活を守られているからこそ負う、子供の責任だった。
だから子供の成分なんてものはそれだけでいい、少なくとも内面は、何に対しても動じない精神力を身につけなければ、大人であらねばと思っていた。
けれど、嵐が来ると、私の中の子供はいきなり暴れ出す。 もっともっと幼かった頃に持っていた同じ興奮が、腹の底からいきなり燃え上がるのだった。

この研究施設は嵐かどうかに関わらず、一歩も外に出なければ気温・湿度・明るさ・アレルゲンその他一切が適切に、一定に保たれた環境だ。ここへ来て最初のうちは、どんな雨風にもビクともしない堅牢な窓の内側から、荒れ狂う光景を眺めているのも楽しいと思った。だがその一律さが、かえって息苦しく感じることもある。まして嵐が来ているという非日常ならば、少しくらい肌でそれを感じてみたいじゃないか。幸いにも、屋外へ出ること自体が一切禁じられているわけではなく、監視の行き届く範囲内であれば樹海でもある程度の自由行動は認められていたので、私は嵐が来ると必ずロードワークと称して外に出、暴風雨に自らの身を晒していた。当然、チームメイトを含め他の奴らは変な顔をしたが。
この生活や立ち位置がストレスになるなんてこと考えたことはなかったけど、たまにこうして雨に打たれると色々洗い流せる気がして悪くないものだ。ましてそんなことでもなければ毎日、それこそ空気の組成までまったく平坦な日々だ。いずれそれどころではない非日常が来ることにはなるのだろうが、それにしてもそれまでにはまだ期間があるだろう。ずっと管理管制の下ばかりにいては頭がおかしくなってしまう。
特に、嫌なことがあった時と嵐の日が重なるのは、願ってもないことだった。今の環境は恵まれていると思う、けれど、嫌なことやつらいことがないかと問われれば確実に答えは否だ。荒れ狂う暴風雨の中に身を置いて全身ずぶ濡れになるのは、そういう鬱々とした気分を一掃するのにはうってつけだった。
嫌なことがあった時――そういえば最初にあの方の亡き息子のことを知った時もそうだった。嵐の中外に出て、走る気にもならず、座ってずっと針のような雨が落ちてくる空を睨みつけていた。運命を呪う、なんて大それたことは考えなかったけどそれの軽い版のような気持ちで、少しでも何かに抵抗したかったのだろう、目に雨が入っても風に体を流されそうになっても空から目を離さないと、意地でも地面なんか見ないと決めていた。自分でもやや馬鹿馬鹿しいと思うけれど、そういう下らないことほど譲れなかったり重要だったりすることもある。つまりやはり子供なのだ、私は。
そういう時座ることにしている場所も決まっていた。樹海には障害物となるモノが多い、座りやすい場所を見つけたらそれは貴重な自分の場所になる。縄張り、とでも言うのだろうか。誰に宣言したわけでもなく何の権利があるわけでもないけど、もし他人に踏み込まれたら断固として排除するだろう。

私が初めて嵐の日にバーンの背中を見かけたのは、私にとっては当然のように日課になってからだった。それまではプロミネンスのキャプテンであるということ以外、こういうプライベートの類であまり気に留めたことはなく、私の行動――豪雨の日に外に出ることを知られたら、馬鹿にされるだろうと根拠もなく思っていただけに、行動が被ったのは意外で仕方がなかった。一体何があったというのだろう、嫌なことでもあったのだろうか?と考えたところで、今日ランク分け試験の一環でプロミネンスがイプシロンを負かしたことを思い出した。この試験でファースト以下になったチームには、エイリア石による強化――というよりはドーピングを、施されることが決まっていた。
もしそれが理由だとしたら私にとっては意外に次ぐ意外で、嵐でも来るんじゃないか、いや既に嵐だけれど、だからこんな天気になったのか、とまで思うようなことだ。普段言葉を交わしていると、到底そんな情に篤い男には見えない。私の知らない違う理由かもしれない、その方がまだ納得できる。
だが、それこそ詳しく人となりを知りもしないのに偏見以外の何者でもないかもしれない。どのみち、この場での選択肢は一つ、関わらないことだ。私がそうであるように、彼も踏み込まれれば容赦はないだろうと思った。もし場所まで被ったらその限りではないけど、と思いながらバーンの行く先をしばらく注視していたが、私の場所に行くことはなさそうだった。

それ以来、それなりに頻繁に、嵐の日に彼の姿を目撃することが多くなった。それらの情報を繋ぎ合わせると、彼が自分の場所にしているところも見当がつくようになった。私が彼の姿を目撃する時、彼はたまたまだろうが私の方は見ていなくて、いわゆる目が合う、という現象にはなったことはなかったけれど、私がこれだけ目にしているのにバーンだけが私に気付かないでいるということもないだろうと思う。同じようにマスターランクの一角を担うバーンが、この状況で私に気付かない程度の無能などと評価できようはずはなかった。逆に目が合ったことがないことはその証拠のような気もした。

だから『知らないことになっている』、それでいいのだ。私が雨に打たれる理由を、彼が風に吹かれる理由を、彼が私が知る必要はない。
私と彼が道を交えることなど、きっとないのだから。
どんなに互いを知ったとしても、いずれ叩き落とし合わなければならない相手なのだから。


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私が雷門に敗北に近い引き分けを喫した時も、試合をしていた間の天気はあんなに何ともなかったのに、富士の樹海は大嵐だった。
あぁなんてお誂え向きなんだろう、今までの比じゃなく死にたい気分の時に、こんなに天気が荒れてくれるなんて。この雨と風だけは私の味方でいてくれるのだ。
いくら雷門に勢いがあることは分かっていても、こんな無様な真似に終わるなんて思ってなかった。敗因は何だ?目を逸らさずに考えろ。
『ダイヤモンドダストに次はねぇってことだろ、終わりなんだよ』
『残念だよ、ガゼル』
さっき浴びせられた雹のような言葉に血が出るような気分になるけど、それとこれは別だ。どんな場合だって明らかに課題が残るものを放置しておくなんて大人ならあり得ないし、もしさっきの言葉通り、本当に終わりなら、これはガゼルとしての最後の思考だ。この岩に木に地面に雨に、くり抜かれた空に、深く刻みつけてやる。
豪炎寺の復帰と引き換えに吹雪というストライカーを失った雷門。今までと比べてスペックが急に上がったわけではない、楽勝だろうと思っていた。あまりズタズタに負かしても私の側に得られるものがない、そう思ったこともあり、私は必殺技――ノーザンインパクトは出さずに試合を進めようとした。変化があったのはやはり予期せぬ闖入者アフロディが現れてからだ。彼のスペックは吹雪の不在を補ってしまった。そしてそれが、神のアクアなしで発揮されるようになっていようとは、愚かにも欠片も思っていなかった。グランの言う円堂の力は、予想もしない間接的な形で私に襲い掛かったのだった。それを見抜くことができなかったのは私の落ち度だ。自信を持って助太刀に現れるような奴がそれまでより低いスペックのままだなど、冷静になれば考えにくい。もっと慎重に対処に当たるべきだった。
その後の展開は、チームの動きに問題はなかった。2点目を許したのはディフェンスに課題を残したところだったかもしれない、けれどそれよりずっと、3点目を奪えなかった私の決定力不足が足を引いただろう。あんなに何回もチャンスはあったはずなのに、途中で素人にボールを切られるなど。最後の円堂の新必殺技はともかく、あれがなければ勝ち越しは可能だったはずだ。そうだったとしても無様な勝ち方でとても胸を張れるようなものではなかったけど。
その原因は――やはり焦りだ。冷静さを保とうとしてはいたものの、どこか点を入れることにかまけすぎて動きが雑になっていたのだ。結局課題を集約していけば、私の精神的なブレ、敗因はこの一点に尽きる。揺さぶってきた誰のせいでもない、そんなことで簡単に揺さぶられるほど私が未熟だったせいだ。全部私一人の未熟さのせいだ。むしろチームは私の焦りをカバーしようと殊更に正確なプレーをしてくれた。だから私だけが罰を受けられたらいいのに、そんなことにはならないし、他ならぬチームが許してくれないだろう、彼らは私を愛している。そこまでの信頼にも敬愛にも、私は応えることができなかったのだけれど。
勝手な行動ばかりするガイアや波のあるプロミネンスと比べて、日頃の成績は私たちが優れているのだろう。けれど普段がどうかなど関係なく、一番大事な本番で失態を犯したら何もないのと同じこと。ましてあの方の中でジェネシスはガイアと決まっているようなものだ。少しでも隙があればそれは即座に致命傷にされてしまうだろう。そして今日の傷は少しとは言えない。
終わりなのだ、言われるまでもなく。私の体がこの後どうなるかは分からないが、そしてどうなったとしてもろくなことにはならないだろうが、ダイヤモンドダストのガゼルは、もう死ぬのだ。
吹き荒れる雨と風の猛攻撃を受けながら、自らの存在があまりにもちっぽけなことを痛感する。私ができる抵抗なんて、動かないこと、目を逸らさないこと、それくらいしかない。

予想に反して、それから何日か過ぎても、決定的な追放が私たちダイヤモンドダストに下されることはなかった。それはそれで困惑することだった。何をすればいいんだ?ジェネシスになれないのならサッカーをしても意味はない。何かの実験台にでもしようと言うのだろうか?
今ジェネシス争奪戦はガイアとプロミネンスでやっているのだろうか?――そう考えたところで、私たちの中途半端な扱いの理由に思い至り、背筋を寒いものが走る。こうして外側に出て、背後の事情も分かった上で状況を見れば、プロミネンスに勝ち目なんか少しもないじゃないか。今まで三つ巴で何とか保っていた均衡なのに、それが二つになったら、ガイアの占める率が上がったら、その優位性はより明らかになる。あの方からすれば、あとはプロミネンスのわずかな傷を探すだけだ。
ひょっとしたら、プロミネンスが何か行動を起こす前に、決断が断行されることさえあるかもしれない。
そして私たちは、プロミネンスとまとめて処分されるのだ。この宙ぶらりんは、それを待たされているだけなのだ。


***********

「……バーン」
「聞いたか、ガゼル」
半ば予想通り、プロミネンスは何も行動を起こさないうちにその宣告を受けたと聞いた。いよいよまとめて処刑されるに違いない、と思っていた私の前にバーンが現れたのは、それから10分も経たない時だった。
私の覚悟はもう定まっていたから、目の前で怒り狂うバーンを見ても哀れだとしか思わなかった。けれどそれが間違いだったと気付かされるのは次の瞬間、バーンが小さく舌打ちして言葉を途切れさせた、その一瞬だった。
ひょっとして、まだ道はあるんじゃないか。
ほとんどないに等しいけれど、暴れる価値はあるんじゃないか。
何せ、傷を探さなければジェネシスから脱落させることもできない22人が、ここに揃っているのだ。
「…どうだ、大暴れしてみる気はないか」
バーンがニヤリと笑って、私の考えた通りにそう言った。雨に打たれるのが好きなところとかこういう時の思考回路とか、そういうどうでもいいところで私とバーンは同じだった。本人の性質がどれだけ違おうと、仲間の命を背負い認められたいと願う立場、それは同じで、だから目指す場所も辿り着く結論も同じなのだった。
私には正直まだ心の準備ができていなかった、けれど、それを悟らせるまいと平静を装う。
「…私と組もうと言うのか」
「そんな甘っちょろいもんじゃねえ」
目を上げたら、バーンは再度、笑む。私も笑みを返してやった。
何の準備もしていないけれど、もう後戻りはできない。こうして私は、何と見切り発車で、真っ暗闇に一筋の光を求めて飛び込んだのだ。予想もしない相手と手を携えて。



混成チームの概略について話し合った後、部屋への帰り道窓の外を眺めたら、また荒れ狂うような嵐が来ていた。最近妙に多いな、台風が矢継ぎ早に来てでもいるのだろうか。夜も遅い、それにこの前さんざん嵐には飛び込んだばかりだ。しかも今日はそんな決定的に悪いことが起こったわけではなく、むしろ希望の道筋をつけてきたはずなのだから、馬鹿の一つ覚えみたいに外に出て行く必要はないかもしれない。
そう思ったのに、私の足はフラフラといつも通りの廊下を通って扉をくぐり抜けていた。

外へ出たら、滝と言った方が近いんじゃないかというほどの大雨だった。警報も出ているかもしれない。一歩踏み出せば瞬く間に濡れ鼠になって、ユニホームも肌に張り付き靴の中にも水が染み出してきた。
雨を楽しむコツはこうして一度水まみれになってしまうことだ。乾いたままのところがなくなって諦めがついたら、後は好きに動けるようになる。
その日もそうやって、何とも不快なジクジク言う水音を靴の中に響かせながら、私はいつもの場所へ歩いていった。時折大風が吹いて、雨の方向をあらぬ方へ変えながら私の進行も阻もうとする。まして夜の森だから暗くて、目が慣れても本能的な恐怖が足元からせり上がる。それを抑えながら歩くのが妙に興奮する。悪い予感や危険を感じれば感じるほど、生きている実感が沸くじゃないか。

だが、続く展開は、そうやって恐怖を抑えながら歩いていた身には余るものだった。
「ひっ…!」
あまりに怖い思いをすると人はかえって変な息の音しか出せないものだと、私は身をもって知ることになった。
私の場所であるところの岩へ至った時、私の腕は突然、物凄い力で掴まれたのだ。


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