役割
昼を告げるチャイムが鳴って、私は食堂へ向かった。
基本単独行動が好きだから、その日も何の気はなしに、一人で廊下を歩いていた。朝は曇っていたけど晴れてきたみたいで、廊下が明るい。いい日になりそうだな、と思っていたら、
「来週のテストの勉強、もうやった?」
「?!」
予想外の声が斜め後ろから聞こえてきて、思わず怪訝な顔で振り返ってしまった。
「やだな、そんな顔しなくてもさ」
「…それなら話しかける時何か前置きがあってもいいと思うんだけどね?」
「あぁ、ごめんごめん」
声の主、ヒロトは口では謝りながら全然悪びれる様子がない。
グランであった時には知りようもなかったことだったが、こいつはこれでかなり人懐こいのだ。誰にでも肯定的だ。そうでなければいつも一人行動の私にわざわざ声はかけないだろう。
単独行動が好きではあるけど、まぁたまには誰かと食事しても悪くはない。ヒロトの誘いに乗ることにした。
「いつもどこで食べてるの?」
「あの辺り」
「へぇ、そうなんだ。…俺たち、向こうの方にいつもいるんだよ。来ればいいのに」
「そうだな」
その気はないけどそれが出ないように返事を返す。気持ちはありがたいけど、一人でいたい時の方が多い。だいたい、ヒロトのことは嫌いじゃないけど、彼の言う俺たち、には、昔エイリアで一緒だった、しかもチームメイトではなかった奴らが少なからず含まれていて、今更どうして彼らと楽しく食事などできるだろう。気を遣う予感しかしない。たまだからまぁいいけれど。
食堂で料理を注文したら昼間の食堂の喧騒でヒロトと一旦はぐれてしまった。でも、声をかけられたのにはぐれたのをいいことに逃げるというのもあまりにひどい気がして、気乗りはしないがさっきヒロトが指差していた方向に知り合いの影を探した。
「あ…ガゼル様…じゃないや、涼野君」
辺りを見回していたら控えめにかけられた声。振り返れば、ヒート――いや、今は厚石だったか――だった。
「あぁ…さっきヒロトに会ったんだ。ここいいか」
「もちろん。何だか久しぶりだね」
少し待っていても他に来そうにもなかったので、先に二人で席をとって食べ始めた。元エイリアの中でも、彼は話しやすい。人当たりが柔らかくて誰にでも優しい。天性の雰囲気なんだろう。そのうちヒロトも追いついてきた。たまには、こうして他人の存在があるのも悪くはないものだ。
昼休みの食堂は人通りが多い。知り合い同士が合流して集まりを形成しているところが他にもいくつもあって、この集まりにも知り合いがちらほら合流してきた。
バーン――いや、晴矢が来たのもちょうどそんな時。
だが、何だか目がうつろというか、顔色が悪いというか、まぁ端的に言えば機嫌が悪そうだった。
バーンとガゼルだった時から、それが晴矢と風介に戻っても、そんなに簡単に関係は解消しなかったから、今だってたまに二人で出掛けることもあれば寝ることもある。好きなのかと聞かれれば、好きだと思う。だがそれで四六時中一緒にいるわけでもなければ、その日一日何があったか事細かに把握しあうわけでもない。他人から見たら物凄く冷めた関係に見えるだろう。まぁ私達の関係を知ってる他人なんか(多分)いないけれど。
「晴矢」
ヒロトが果敢にも声をかける。晴矢は不機嫌そうながら、声をかけられ目が合えば拒みはせず歩いてきた。
「いいかここ」
「もちろん」
晴矢は私の斜め前、厚石の隣に席をとった。ただ、私としては何となくいづらかった。そんなあからさまに不機嫌な顔をされてもどうしたらいいのだろう。関知しないで通しているのだから何があったかなんか知らないし、こういう時聞くこともできない。大体子供っぽくはないだろうか。大概のことはできる男なんだから、そういうところを見せられると何だか残念に思う。
「元気ないね、晴矢」
「あぁ…まぁな…ひでぇよ今日は」
厚石の気遣う声に対して、普段より3トーンくらい低い声で答える晴矢。私は彼の低い声が好きだから思わず身震いしたけど、ただの不機嫌でここまで下がった声を聞いたこともなかったので、本当に何かあったんだなと思った。
「どういうことだ?大丈夫か?」
「寝れてねぇし…授業中手ぇ震えて頭に入んないし」
厚石も只事じゃないと感じたらしく、少し身を乗り出した。答える晴矢は聞き取るのが精一杯のぼそぼそした声でそんなようなことを言っていた。周りにあまり聞かせるつもりのない声だった。でもそのくせ隠すつもりもないんだ。そんな態度をとって本当にどうするつもりなんだ。構って欲しがりみたいなことまで言って。
触ることもできないから無視を決め込んで食事に専念する。隣のヒロトとは言葉を交わすけれど、目の前の二人はいないかのように扱うしかなかった。
「英語のプリントもう終わった?」
「もう出したよ。今日の午前中までじゃなかったか、提出」
「え、嘘!」
珍しくもヒロトが焦った顔をする。
「何、終わってないのか?」
「大体終わってるんだけど、ロッカー室に置きっぱなしだ!すぐ取って来なきゃ」
ヒロトはそう言うと急いで食事を片付け始めた。
「昼休み中なら大丈夫じゃないか、そんなに焦らなくても」
「うーん、そうだといいけど」
傍から見ていると滑稽なくらい焦りながらヒロトは皿を次々と空けていった。でもそんな食べ方をしていてもこいつは行儀が悪くならない、不思議なものだな。同じ孤児で、エイリア学園にいたのも一緒なのに、ヒロトは他の奴らと比べてどこか気品がある。実は生まれが凄くいいのかもしれない。
「ごちそうさまっ!ごめんね、出してくる!」
「あぁ、気をつけて」
ヒロトが慌しく立ち上がると、
「おぅ」
「焦りすぎないでね」
晴矢と厚石もその時は目を上げて声をかけた。
そんなこんなでヒロトがいなくなってから、いづらさは当然だが余計に増した。
晴矢は相変わらずあからさまに調子が悪そうで、箸のスピードもいつもの半分もない。
その態度に対して憤る気持ちもあるけど、そんなに頻繁にこういうことがあるわけでもない、流石に心配になる。
けれど。
「聞いていいの、何があったんだい?」
「…ほんとひでぇんだよ、何かさ」
それは私の役割ではないんだ。
私にはどうにもしてやれない。
晴矢と厚石が二人でぼそぼそ喋っては、沈黙が降りる、その繰り返し。私はそれを見ながら黙って食べるしかなかった。
けれどあまりにも晴矢の箸の進みがいつもより遅いので、
「…晴矢、全部食べられるか?」
一言だけ聞いた。
晴矢は、半分くらいしか開いてなかった金の目を、一瞬だけしっかり見開いて私の目をまっすぐ見た。
1秒、真正面から晴矢の目線を受け止める。
「…何とか食える」
その目のまま、晴矢は呟くように言った。
「…そうか」
私がそう答えたら、また半分くらいしか開いてない目に戻って、私からは目を逸らす。
そんなに、私が言葉を挟んだのが意外だったのだろうか。
でも、そう、結局いつもその目が。
ちょっとした不満なんてどうでもよくなるような輝きを持っているから。
どんなに文句があっても、嫌いになれないんだ。
「…ごちそうさま」
晴矢と厚石はまだ相談事を話しているようだったけれど、私は食べ終えたら早々に席を立った。
「おつかれさま」
「あぁ」
その役割が欲しいわけではない。
欲しいのは君の光だけ。
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ほぼ実録である件…モデルになった同期スゲーッマジで土下座…^p^