冬に差す陽だまりの愛


その日、突然カイトに呼び出されて、私は久しぶりにハートランドシティを訪れた。
「クリス」
「しばらくだね」
とりたてて用もなくカイトが私と二人で会おうと言い出すようなことがあるとは思えず――ましてカイトはつい先日、遊馬と恋人の関係になったと聞いている――、最初は何か世界に関わるような重大な本題があるのではないかと思っていた。だが、彼の様子はどちらかと言うとゆったりとしていて、そんな風でもない。
「このカフェにしよう…紅茶が美味いんだ。あんたの舌にも合うかもしれない」
「ほう、君が言うならそうなのかもしれないな」
いや――どちらかと言うと、ではない。幼い頃から思い返しても、こんなにリラックスしているカイトを見るのは初めてかもしれなかった。それなのにそれが違和感というわけでもない、むしろ収まるべきに収まったような感じがするのは、少し妙な心地だった。これが遊馬によってもたらされたカイトの心の平穏なのか。そしてそれは、私が彼にもたらすことができなかったものでもあると。
そんなことを考えて、私は自分自身に少し驚くことになった。こんな未練がましいことを、私はまだ思っていたのか。初めて遊馬とカイトのことを聞いた時から、この二人に対しては祝福の心しか出てこないと思っていたのだが。
カイトが選んだのは窓際の、明るい4人掛けの席だった。混雑していないからそれでもいいのだろうが、2人で4人掛けというのはいいものなのかな。
「ダージリンセカンドフラッシュとニルギリを」
「少々お待ちくださいませ」
メニューの種類はそう多くなかったので特に迷うこともなく、待ち時間になる。
カイトはメニューを衝立へと戻してから、着ていたコートのポケットをごく自然に探った。
「オレはかつて…あんたのことを完璧な人なんだと思っていた」
そしてその手を止めてから、不意に、やわらかいままの喉に真剣味を交えたような声を出してきた。
「……」
私は思いがけない彼の口調、そして言い出したことにも、聴き入ることになった。特に重大な用事もなく、私と二人で会いたいと言ったカイト。その、世界的な重大ではない本題をこんなタイミングで切り出されるとは、そしてその内容についても、私はまるで予想していなかったのだ。
「そんなはずはなかった。弱さもずるさもあって当然だった」
「……」
「そしてそれでもなお…あんたはオレのために強いままでいてくれている」
カイトの言葉は滑らかだった。それを私に告げるに当たっての、照れの類も緊張も少しも見られなかった。私は、おおよそカイトから言われるとは思っていなかった、直接的でやわらかい言葉の数々に、反応を返すことができなかったのだった。
カイトは、そこで伏せがちだった目を真っ直ぐに上げた。その力強く、美しく育った青い両目が、私の目を見据える。
「強さ弱さで言うならオレは一度あんたを越えた。だがそれでもオレの上に居続けてくれる。弱さも強さも含めて立っていてくれる」
そして――それと同時に、彼のよく手入れされた指が、リボンのかけられた小さな箱をテーブルの上にことりと置いた。
「そんなあなたを、好ましいと思う」
今まで見たことのないような、わずかだが穏やかな彼の微笑みと共に。

私は自分が何に直面しているのか分からなかった。日付は確かにその日、このカイトが私に差し出そうとしているチョコレートが、愛の告白と共に贈られる日だった。だが、どういうことなんだ。カイトが愛しているのは私ではないはずではなかったのか。
「……遊馬はいいのか」
あまりの驚きに、結局直接的で短い問いしか出てこない私に、
「それとこれとは別の話だ」
カイトは何の動揺もなく、軽く肩を竦めてみせた――それも、今まで張り詰めた厳しさしか見せようとしなかった彼らしからぬ、とは言え何故か違和感もない仕草だった。
「ニルギリになります」
そこで、一度オーダーした紅茶が運ばれてきて、私たちの会話が途絶える。チョコレートの箱がそこに置かれたまま、カイトの前に白いポットとティーカップが並べられていく。カイトがごく自然に私から目を外して、どちらかと言えばそのカップに注がれた紅茶を目に映しているようだった。程なくダージリンも運ばれてきて、話が中断している時間はそれなりに長かった。
すべてが準備されてウェイトレスが去った時、カイトはまた目を上げて、私を真っ直ぐに見た。
「そもそも」
そして、すぐに話の続きを切り出して、
「こんなことを言い出したのは、遊馬の方だ」
その内容はさらに私を驚かせることになったのだ。


***********

「もうすぐバレンタインなんだなー」
遊馬がカレンダーを見ながら言い出したのは突然のことだった。
「……そうだな」
その日付に合わせて、派手なチョコレートの商戦が繰り広げられることは知っていた。どころか、これまでは、その祭典とも言えるバカ騒ぎにむしろ乗じてチョコレートを選ぶこともあった。ハルトが、甘い菓子類を食べた時だけ少し目を覚ますような傾向があったからだ。毎年悪化していくハルトに、藁にも縋るような思いでチョコレートを選んでいた。
その心配がなくなり、そして遊馬に恋愛感情を告げられてから、その日を迎えるのは初めてだった。だが、チョコレートを選ぶこと自体はむしろ歓迎していたオレも、世間で一般的にされているような低俗な趣向の――恋愛のイベントとしての騒ぎ方をしたいとは、たとえ遊馬に対する愛に疑いがなくても思えなかった。遊馬とて、そんな女々しい思考回路はしていないだろう、馬鹿なことを言い出すことはないと思いたい。だが一方で、あれは寂しがりの子供でもある。オレが危惧しているようなことを言い出さない保証はなく、仮にそんなことを言ってきた場合、どう対応すべきか決められていなかった――もし遊馬がそう言い出したなら、その背景を考えれば真っ向からズタズタに両断するようなことは避けるべきなのだろうが、本心はそれに近いものがある。
「あのさぁカイト」
そこで、遊馬は思いがけず少し悪戯めいた笑い方をした。
「二人でさ、本命チョコあげようぜ。Vに」
「……は?」
オレは、はっきりと言葉を失うことしかできなかった。

「バレンタインって女子が男子に渡す日なんだろ?じゃあオレたち関係ないじゃん。けどさ、世話になってる仲間には何かしてもいっかなって思ってたんだよ」
遊馬は完全に呆けきっているオレを前に、一人でぺらぺらと喋り立てた。それを聞いている間に、オレにも思考回路が徐々に戻ってくる。なるほど、オレが考えていたのは杞憂だったということだ。だが、それでもなお、遊馬がそんなことを言い出した理由が分からない。
「…それで何故本命でクリスなんだ」
オレが結局直接尋ねると、
「えっだって」
遊馬は何が不思議なのか分からない、とまではいかないが、それに近い明るさの、無垢という言葉がよく似合う笑顔を弾けさせた。
「カイトだって、Vのこと好きだろ?」

(……こいつは……)
オレは完全にお手上げだった。元々人間離れしたと言っても過言ではないほど、与える愛の器が大きい奴なのは知っているつもりだった。だが、こんなことは予想だにしなかった。それが恋愛になったところで、その広さ、大きさは変わらないのだ。オレを愛しているというその意味は、オレを独占したいということではないのだ。オレの愛している人を、すべて自分も愛すると。互いにとって大切な他人を愛するための作業を、二人で共にしようということなのだ。

「……そうだな」
「わわっ」
思わず腕に収めれば、驚いて少し頬を赤らめる。こいつは、九十九遊馬という奴は、こうして確かに子供でありながら、オレが思いつきもしない、広くて温かい腕を持っているのだった。まさに太陽のように、オレに恋しながらあまねくを愛するということを事も無げに両立するのだった。最初に懸念したことが嘘のよう――そう疑った自分の小ささの方を思い知らされるようだった。
まったく、敵う気がしない。


***********

カイトはその話を終えると、あいつには敵わないと苦笑を漏らしたが、それは私も同じことだった。どう転べばそういうことができるというのだろう。遊馬は強いばかりでなく、広い。広すぎる。私の考えている常識や命に代えてもと求めていたはずのものが、バカバカしいものに思えてくるほどに。
「あっ、V、カイトー!」
そしてその件の人物が、私たちを発見して合流してくる。するりとカイトの隣に座る彼を見て、なるほど、4人掛けはそういうことだったのかと私は知ることになる。だが、それに対する蟠りのようなものは、最早全く感じられなかった。
「V、オレからも受け取ってくれよな!」
そして、先ほどカイトが話した通り、カイトが出したのと似たような紙の箱を私に向けて差し出しながら、
「Vにはいっつもすっげー世話になってるし、オレもVのこと超かっこいいって思ってるんだぜ!」
カイトが言った通り、確かに太陽のような笑顔で、私を照らした。

「さすがは…君の選んだ人だな、カイト」
私は二つのチョコレートを――カイトからの深い青の包装紙の箱と、遊馬からのピンク色のポップな包装紙の箱を手に取り、万感を込めて呟いた。
「当然だな」
「へへっ」
答えるカイトも遊馬も、自然体で喜びの笑みを浮かべている。

季節は真冬なのに、20年間で一番暖かい日のように感じた。



遊Vカイが好きなんですよ


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