The sickness unto death



彼は、真の意味で人智と獣性を併せ持っているのだろうと思う。
フェイに去られたSARUに向かって「放っておいていいのかよ」なんて痒いことが言えるくせに、人間なんて滅ぼしてしまえばいいなんて乱暴なことも言う。

そしてもう一つ。
これを何と言えばいいのだろう。悪戯、とでも呼んだらいいのかな。それともちょっと合わないんだけれど、彼には実に獣らしい手癖がある。
ライオンとか、じゃれたつもりで相手を殺してしまう、なんてことがあるようなことを聞くけど、一番近いのはそれなんじゃないか。でもライオンより始末に終えないのは、完全に無邪気なのではなく、少しの悪意が確かに存在していること。
「ヴァンフェニー」
「なに…―――」
振り返りかけて、反射的に身を引いた。と同時に、急いで意識を集中させる。
ガルシャアの手には聖水の瓶、中は空。
灼けるような感覚が、避けきれなかった左手の甲に、容赦なく広がった。
「…いつも思うけどね、死んだらどうするつもりなの」
まだジリジリする左手の水を振り落としながら、僕は溜息をついた。
「死なねぇだろ?」
ガルシャアは、お世辞にも精悍じゃない、野性味だらけの目を満足そうに細めた。

*****

初めて彼が僕を潰そうという勢いで振り下ろした拳を素手で止めた時、彼の目がギラリと輝いた。
「死ななかったの、初めてだ」
「……当たり前だろう?僕を誰だと思ってるの」
「ハッ、違いねえや。やっぱ人間とは違うぜ」
そう笑う彼は、興奮した様子で僕に『じゃれついた』。それまでは人間をおもちゃにして遊んでいたらしいけれど、壊れるのが早すぎる、あいつら堪え性がないよな、そんなことを時々言っていた。
(それはそうだろうね、彼らには自分が死んだら代わりがないって意識がないんだから)
肩を齧ろうとする彼の毛並みを撫でながら、僕は考えていることとは全然違う言葉を紡いでいた。
「普段は僕が牙を立てる方なのに、変なの」

ヴァンパイアの身は弱点が多い。けれど、それだけで死んだりするほど致命的に弱くもない。十字架、ガーリック、銀の弾、確かに苦手ではあるけれど、十分に気をつけていれば素手で触れるしやろうと思えばキスだってできる。ガルシャアはそれを知っていて、顔を合わせる度にこういう類の嫌がらせを不意に仕掛けてくるのだ。
僕はまぁ、この通りちょっと素直じゃない性格だから、揶揄うような物言いが多いのも自覚している。先述の通り好青年的な側面もある彼が、それに呆れているような心はあるのかもしれないけど、直せという類のことを言ったことはなくて、それは僕を尊重しての不干渉なのか、あるいは僕の中身に本当に無関心だからなのか、確かめたことはない。ただ事実として、彼曰く『キレーなのは顔だけ』『ヒネくれ返った奴』であるところの僕に、優しくしてやる必要なんてあるか?とカラカラ笑って言われたことがある。
彼のやりたい『悪戯』、死なないギリギリの嫌がらせをするに当たって、力が十分にあって気遣う必要もない、僕ほど相応しい相手もいなかったというところだろう。
仮に勢い余って僕が死んでも、彼は残念がって次を探すだけだ。

*****

そういうこともあって顔を合わせる度に気の抜けない狼男のことを、月を見ると何となく思い出してしまう。その度に、あまり面白くないような、狂おしいような、変な気分になって僕は苦笑を漏らす。
「Sygdommen til Døden」
思わず独り言を零した。彼との関係は本当にあの書みたいに複雑で解けない縺れのようだ。死と隣り合わせのような、死とは無縁のような、
「キルケゴールか?」
背後からちょうどその声がして、僕は思わず無防備に素早く振り返った。
「驚いたね。読んだの、君が?」
僕は半分正直にそう言って肩を竦めた。いつからいたの、なんて無意味なことは問わない。彼は気まぐれに現れる。僕に対しての彼は、本当に獣そのものだ。けれど同時に、デンマーク語の原題も一瞬で理解し、それがキルケゴール著作の書物だと即座にリンクする知性も持っているのだ。
「いや?中身は知らない」
僕と同じようにガルシャアは肩を竦めて両手を広げた。さすがにそこまでの学はなかったらしい。

「けどなんだよ、独り言とか珍しいな。そんなに死にそうなの、コレが?」
彼は振りかざしたその手に、ご丁寧に銀の燭台に乗せた、火の点いた蝋燭を持っていた。毎回、よくもまぁ飽きずにわざわざ、ヴァンパイアの弱点なんて覚えているものだ。
「まさか。無意味なこと聞かないでくれる」
僕が苦笑交じりに答えると、ガルシャアはその蝋燭を持ったまま、一歩一歩近づいてきた。
「じゃあなんで死に至る病?」
「中身読めば分かるんじゃない」
「キリスト教がうんたら言ってる本にお前のことが書いてあるわけねーだろうが」
「じゃあ、知らなくていいよ」
ムッとした顔をする、いまや目の前に迫ったガルシャアに、僕はその蝋燭を吹き消しながら、目の下を歪めて微笑みかけてあげた。
「それより楽しもう。退屈だから来たんでしょ?」

*****

どんな『悪戯』『嫌がらせ』より、そのダメージより、君が現れることそのものが一番、僕を死にそうな気分にしているんだよ。
でもそんなこと、君が知ったって何にもならないでしょ?



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ガルヴァン初チャレンジ!