北斗七星
涼野が西太后でその側付の宦官的なソノアレが南雲、光緒帝が基山というパロというにもトンデモなアレです。
(あと出ないけど吉良が同治帝)
時代的には戊戌の変法とか戊戌の政変あたり。
閲覧の際はくれぐれも、くれぐれもご注意をお願いします_(:D」∠)_
広大な夜空の下、これまた広大かつ壮大、絢爛な宮殿の、いくつもの分宮がひしめき合うその最北に、皇帝の居がある。
皇帝は北極星、天で唯一不動の、絶対的な存在であると。
しかし、その絶対なはずの皇帝が、少しも逆らうことを許されない存在が、その少し西に北斗七星の如く鎮座していた。こぐま座とおおぐま座の関係に似ていると言えば似ているかもしれない。
その女自体に、帝家の血は一滴たりとも入っていないのだが、真の絶対者は彼女だった。
人はその女を、西方にある彼女の宮殿になぞらえて西太后と呼んだ。
***
この女には帝家の血は入ってないが、前の皇帝の母親だったので、帝家に属する人間ではある。皇帝および帝家の人間は高貴を表す黄色を身に着けるが、黄色一色の皇帝と違って后妃の身分の彼女は部分的に黄色の入った装束を着ける。だがそれがかえって、彩り豊かで豪奢な衣装を身に着けることを彼女に許していて、装飾品だらけで重そうな裾を物ともせず鷹揚に歩く仕草は、帝家の血が入ってないとは思えないほど高貴で、女とは思えないほど堂々たる風情で君臨していた。黄金の繊細な装飾が施された冠から覗く髪は銀、国の全てを睨み従わせる双眸は冷ややかに青い。
この壮大で恐ろしい女に俺はどういうわけか気に入られ仕えている。悪くはない話だ、そこには絶対的な国家権力がある。この女のようにそれがどうしても欲しいとは思わないが、この広大な国全体を指一本で動かすその手に手を添えて、少しだけ俺の意向を混ぜてやるのは、性と引き換えにしても十分お釣りが来る快感だ。
「申し上げます。皇帝陛下がお目通りを願っておられます」
文官が彼女の座す足元遠くに両手を胸の前に重ねて礼をし、奏上した。俺は内心その文官に同情した。あー敬語使うの大変そうだなァ。誰一番敬っていいのか分からなくなるよな。
「お通ししろ」
そういう点でこの女は不気味なほど正確だった。実質的にはがんじがらめに皇帝を支配しておきながら、言葉遣いは絶対に間違えないのだ。
ほどなくして、黄一色に身を包み、鮮やかな赤い髪とその反対に青みを帯びた緑の――それは彼女と同じ血を表す色だった――目に緊張と覚悟を宿した皇帝が、重い足取りで謁見の間に入ってくる。居並ぶ文官・女官・宦官がひれ伏す中、彼女だけは上座で座ったままそれを迎えた。この皇帝は彼女の甥に当たるが、先の皇帝――彼女の実子に当たる――と、瓜二つと言っていいほどそっくりで、そのことも彼女が彼を皇帝に推した要因だったかもしれない。だが実はつい先頃、皇帝の成人に伴って一旦引退した彼女を完全に打倒しようとする勢力が起こり、それが密告されて彼女に敗れ、彼女が政権に復帰するという事件があったばかりで、皇帝本人に咎めはなかったものの二人の関係はあまり良好ではなかった。俺の記憶する限りでは、二人が顔を合わせるのは事件以来初めてだ。
「母上にはご機嫌麗しく」
皇帝は両手を胸の前に組んで跪いた。伯母とは言え、幼い頃からこの女の下で育ち、地位も皇太后と皇帝で代としては一代上なのも同じなので、皇帝は彼女を母上と呼び、実母に対するのと同じように頭を下げる。ちなみに実際は皇帝の実母が皇太后の妹に当たるらしい。
「御託はいい。何の用だ」
彼女は長く尖った金細工のつけ爪を纏った手で扇をゆったりと扇ぎながら、俺が思ったよりは平坦な口調で言った。
「……では申し上げます。我が同志にどうかご慈悲を賜りたく参上致しました」
「……」
皇帝の言ったことはある意味予想通りではあった。彼女は答えない。皇帝はしばらくの間の後続ける。
「彼らに母上を傷つけたい意図はございませんでした。道を過ったのみで国のためを想う志は母上と何ら変わらない者ばかりなのです」
用意してきたのだろう、皇帝は滑らかでかつ熱意をもった口調だった。場の空気が皇帝に同情的になるのが分かる。まぁこの皇帝はイイコチャンだからな、そうなるのも仕方ないけど。
「……愚か者が」
と思ったら、皇太后が口の中でそう呟いた声が氷の冷たさで、予想してた俺でもやや身震いした。皇帝には聞こえなかっただろう、多分その方が幸せだ。
「皇帝」
「はっ」
「そなたも成人して親政を始めようとされた身だろう。ならばそのような世迷い言で母を不安にさせてくれるな」
それを聞いた皇帝が、可哀想なくらい絶望を全面に出した顔になった。
「母上!今まで私が我が儘を申したことがございますか!一度としてございません!後生でございます、国の未来を担う若者に、我が盟友にご慈悲を…!」
皇帝は、その唯一人しか身に着けることができない冠を戴いた頭を床にこすりつけんじゃないかって勢いで平伏して、なおもそう食い下がった。チリンチリン、その冠の装飾品が抗議の音を立ててる。こんな地面とぶつかるはずのものじゃないと。
「皇帝が国を想うお気持ちはご立派なものよ」
皇太后は相変わらず冷ややかな目でそれを見下ろした。
「…だがそれとこれとは別の話。もう少し世の理を学ばれよ。それ以上言うようならご自分の立場を悪くするぞ」
「……」
皇帝は答えられないまま、絶望を通り越して恨みがましい光を宿した目へと変わっていったが、皇太后は不気味なくらい、ほんとにびっくりするくらい何の動揺もなかった。
(…まぁ)
けど、この件に関しては皇太后が正しいなァと、自分が贔屓されてるからとかでなく思った。
今この国には、その広大な土地とか人民を狙って外国の勢力が押し寄せ、隙を探して回っている。もしそのトップが、自分に楯突いた者を赦すような甘ちゃんと知れれば――ただでさえ女でなめられやすいのに――外国は攻勢を強め、国は本格的な崩壊に直面するだろう。それだけでなくこの女の政治的手腕は確かに比類なく有能で、権力を握ってるのが彼女じゃなかったら今頃この国はとっくに分割され支配されてるに違いない。それでこの女が目の上のタンコブな外国共は、皇帝に取り入り改革派とか何とか言って内部からこの女を失脚させようと必死なのだ。
そういう意味じゃ、この女ほどすべてを手に入れてるようで、この女ほど孤独な奴もいねえだろうなぁと、皇帝の後姿を黙って見送る彼女の横顔を見ながら思う。
***
彼女は娯楽として宦官や女官に舞を舞わせたり舟遊びをして雅楽を楽しんだり、あとは囲碁を好んで、その腕も並大抵のものじゃなかった。私室で一人でいる時には必ず碁盤の横に寛いでいた。今夜も例外ではなくて、俺が部屋の外から覗くと彼女は定位置で横たわって上半身だけ緩やかに起こしている。
『そのような世迷い言で』
昼間皇帝に言ってたことを思い出す。自分に楯突いた者には容赦ないこの皇太后の、その徹底振りはいかほどのものか見てみようかと悪魔のような思い付きが走る。俺は簪を4本抜いて、見慣れたその女に向かって刃投げの要領で投げた。もちろん本気で当てるつもりで、だけど、彼女の成す何らかで当たらないことは分かっていた。
でも彼女は、軽く俺の予想を越えた。自分めがけて飛んでくるそれに一瞥もくれず、手に持っていた扇を一振りしてすべて払い落としてしまう。
「悪ふざけにも度というものがあろうが」
そして俺の方も見ず碁盤を見たままで、けど確かに俺に対してそう言った。思わず武者震い的な笑みがこぼれる。これが権力以外に見るべきものがない女なら、今頃この国は俺の意のままにできてただろうに、そうできなくて悔しくならない理由がこれだ。
「あれ、それだけ?処分なくていいんですかね」
「世迷い言を」
殊更に馴れ馴れしくそう言ったら、さっきと同じ言葉を使って一蹴された。ハッハァそうきたか。ほんとにこいつは他人を見る目に長けてるというか。俺を逃したら惜しいと分かってるってわけだ。そんで俺がこの女に失脚されたら困るってことも。
「座れ」
皇太后はそう言って扇を閉じ、碁盤の向かい側を指した。有無を言わせずってとこか。最近の碁の相手は俺が多かった。俺が二つの色の碁石を操作し、皇太后は石を置く場所を閉じた扇で指し示すだけだ。人使い荒いよな、まったく。でもそんな人をナメたような態度で打たれた碁で、俺はこの女を負かせたことがない。まぁおかげで随分俺も囲碁の腕を上げることになった。
「なぁ西太后サマ、せっかくだから賭けないか」
碁盤と碁石を準備してから、俺は完全な思いつきでそう言った。彼女が青い目を軽く見張って俺の顔を見る。俺の顔には他ならぬこの女が刻んだ入墨が、両目の下から頬にかけて角ばった線を描いている。
「何をだ」
「互いの欲しいモンとかでいいじゃん。まぁあんたが俺に欲しいモンなんてないかもしれないけどさ」
俺が適当にそう言うと、彼女はようやく合点がいったようにニヤリと笑った。
「……つまりそなた、勝ちと引き換えにわたしに何かを望んでいるというわけだな」
強欲な奴が、とその目が俺を嘲笑っている。まぁそれを否定する気もないけど、それが狙いと思われるのもいただけないな、実際は思いついただけなんだけど。
「まぁね。別に国とか言わないから安心してくださいよ」
「ほぅ?では何だ」
笑いの消えないままの声で皇太后が尋ねてくる。釣れたな、俺の思い通り。
「そうさな…あんたが欲しいなァ」
俺は最初の石を碁盤に置きながらそう言った。
彼女は文字通りポカンとしていたが、
「……くっ…ふ、ハハハハハ!」
しばらくして意味を理解すると高笑いを始めた。
「戯言を申すな、男ならぬ身で皇帝の后を望むだと?国より大それた望みよな、ハハハハ!」
彼女は心から楽しそうに大笑いし、扇で自身の手を示す。その通りに白い石を置いてから、俺はその扇の先を手で捕まえた。笑いを消さないまま眉を吊り上げた彼女を睨み上げて、俺は舌を出して笑ってみせる。
「アレなんかなくったって、あんたに皇帝を忘れさせてやるぜ?」
皇太后は相変わらず笑みの気配をまとったまま、しばし俺を黙って見下ろしていた――値踏みするような目だった――が、不意にその扇が俺の手から逃げたと思ったら、その同じ手が同じ扇の骨で強く弾かれた。
「イテッ!」
「下劣な妄想は勝ってから申すが良い」
そう言って彼女は顎で碁盤をしゃくった。次の手を促している。
「……クソが」
まぁ確かに、囲碁に関してはまだまだ俺じゃあ相手になるのが精一杯で、勝ちを取れるのは遠そうな気もする。俺がその後も二人分の石をパチンパチン並べていってると、
「…まったく、男ならぬ身にしておくにはつくづく惜しい奴だ」
頭の上から思いがけない上機嫌な声が降ってきて、俺は思わず俯きながらニヤリと笑った。
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音羽時雨様に5ヶ月遅れで誕生日に差し上げました…何も言ってくれるな(゚∀゚)