愛しなげなる瑠璃へ贈る
研究所が始動して間もない頃、別に何の変哲もなくサッカーの練習をしているだけで、ある日突然、苦しみ出したかと思えば異形の化物になってしまう子供がいた。
エイリア石を使っているかいないか――つまり、マスターランクかそうでないかは特に関係がなかった。その力の恩恵に預かるかどうかはともかく、研究所のど真ん中に据えてあるエイリア石と、根本的に合わない、ということなのだろう。あるいはエイリア石を送り込んだ宇宙人みたいなのがいたとしたら、そいつらの策略だったかもしれない。だが父さんの方にその宇宙人の企みに乗っかってやるつもりは微塵もないらしく、そうして化物になった奴らは、すぐに特殊弾みたいなので処分されてた。元に戻る見込みがないということだろう。
だから、最初はもっとたくさんいた集められた子供たちは、そうやって少しずつ数を減らした。残された俺たちには、どのチームにも控えのメンバーはいなかった。
とは言っても、俺が処分の光景を目の当たりにしたことは少ない。だからつい最近までその事実さえ――消去しないと厳しい記憶だったってのもあるかもしれないが――忘れかけてた。
今思えば、なんであんな風に突然思い出したんだ。
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ガゼルだった風介と、バーンだった俺は、FFIの韓国代表としてスカウトされた。決勝戦の結果は不本意だったが、全く新しい環境でサッカーするのはそれなりに楽しかったし、スカウトを受けたこと自体は後悔してない。
それで大会が終わった後、俺たちは帰国して一旦おひさま園に身を寄せ、そうもしないうちにそれぞれ独立して暮らし出した。まぁ仕送りは受けてるし大人の目の届くところにはいるけど、プライベートはちゃんとしてて生活も自分で組み立てなきゃいけないってところは独り立ちと言っていいだろう。
独り暮らしを始めてから、それなりに仲のいい奴以外は、そんなに離れたところにいるわけでもないのに自然と疎遠になった。具体的に言えば、プロミネンスの仲間だった奴らはそんなんじゃ切れなかったけど、他のチームだった奴とは連絡が密にあるということもなかった。意外にも、確かに元は違うチームだったけど、カオスを組んで韓国にまで一緒に行ったはずの風介とも、一緒にサッカーをしてなけりゃわざわざ連絡することもないのだった。
俺はその日、進学する高校について考えてた。どういうとこに行けばいいのか、頭がいいとこか、スポーツで有利な方がいいのか、それとも全然違う専門を見つけるか。今までエイリア学園にいても韓国にいても、意味は微妙に違うけどサッカーのことだけ考えてりゃ良かったのと、これからどういう人生にするかを考えるのって、こんなにも違うのだ。
その時に、不意にあの苦い事実を思い出したのだ。
(俺は偶然かいくぐって今も生きてて、高校のことなんか考えてられるけど、あいつらはなぁ…)
もちろん、化物と化して処分された奴ら自体のことも心が痛いことではあるけど、俺はそこまで善人でもないし、それを見てないフリしてなきゃあの頃を生き抜くことはできなかった。今も、真正面から向き合ったらどうなるか分からないし、何より、自分自身への不安はあった。
エイリア石を使ってたわけじゃないけど、俺のサッカーで使う炎の力、強すぎるそれは本当にエイリア石の影響を微塵も受けてないと言い切れるのか?そもそも化物になった奴らの中には俺と同じようにエイリア石使ってなかった奴だっていたんだ。あの時化物にならなかったからって、俺は今もまともな人間なんだろうか。
(……まぁ、そんなん俺がグダグダ考えたって答えが出るわけもねえし)
俺は考えに蓋をした。生きるための知恵ってやつをこんな使い方するのも情けない話だ。けどそうでもしなきゃ余計面倒なことになっちまう。この調子じゃ高校のことなんかまともに考えられそうにもないし、別の時にするか。
俺はそう思って、その日は眠りについた。
どんより重い雲で曇ってた次の日、目が覚めたのは、朝陽が差し込んできたからではなかった。
「!?」
非常を知らせるベルがけたたましく鳴ってて、言われるまでもなく部屋の窓はすごい風を受けて音を立て、割れてるとこもある。なんなんだ。何が起こったのかさっぱりわからなかった。
慌てて部屋を出ると、同じ建物に住んでた茂人や穂香と廊下で出くわす。
「あっ晴矢!」
「これは何だってんだ?」
「分からないの、でも何だか大変なことになってるみたいな」
揃って逃げながら、でも大した情報は得られない。仕送り頼みな俺たちは基本的に質素な暮らししかできないから誰もテレビも持ってなくて、ニュースになってるかどうかも分からないのだった。
「あっ、でもラジオなら…!」
茂人が非常用持出袋の中から携帯ラジオを引っ張り出した。そういうところマメなのがこいつだ。俺は身一つで出てきただけだったのに。
けど、そのラジオが機能する直前に、俺たちは集合玄関から外に出て、
『青い色をした巨大な未確認物体による被害は、依然拡大を続けており――――』
何が起こってるのか、その目で見ることになった。
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それは、ラジオのアナウンサーが言った通り、青かった。
7階建てのビルと同じくらいのでかさだった。特定の何かに似てる形をしてるとは言い難かった。ただ堅いようにはあまり見えず、ドロドロと流れそうな部分が目立った。それが動くたびに、雹――と言うには生易しい、氷の槍みたいなものが空から降った。同時に凄い風が吹いて、それで家屋に被害が出ているのだった。
茂人も穂香も言葉を失っていた。俺も。それが世界を荒らす様子を呆然と見ていた。
(なんだ、これは…?)
それには目とか顔があったわけじゃなかった。だからどっちを向いてるとかそういうのはなかった。
なのに、突然、俺はそいつがこっちを『向いた』のが分かった気がした。
「逃げろ!」
俺は茂人と穂香を突き飛ばして、自分は反対方向に跳んだ。案の定、さっき俺たちが立ってたところは、即座に氷の針山になっていた。
(なんだってんだ…!?)
俺はどこへともなく走るしかなかった。エイリア学園にいてそれなりの超常現象には慣れてたつもりだけど、あんな奇想天外な物に対してどうしたらいいかなんて分かるわけない。
それの攻撃?が俺を追いかけてくるってことはなかった。俺が走ってるのと一緒にそれも別の方向に移動していて、少しずつ距離は離れてきてるような気がする。
安全が確保できたかは分からないが、ある程度の距離を担保してから、俺は振り返った。何なんだ、あれは。何度目かわからないその疑問をもってそれの蠢き方を見る。
突然、それが音を立てた。いや、発した。耳をつんざくような不快指数だらけの高い音だった。俺はたまらず耳を塞ぐ。音、というより声だった。
「っぐ…!」
俺は物理的に目を細めざるを得ないその振動の中、その様子を見た。それは声を発する時、例の氷の槍を一層数多く、四方八方に撒き散らしていた。
「くっそ…ッ、フレイムベール!」
俺はサッカーにしか使ったことのなかったその技で身を守った。氷の塊は俺の技のオーラで溶けて砕け、きらきら輝きながら散っていく。
それを感知してなのか、また化物が、こっちを『向いた』のが分かった。
「――――」
俺は声を失った。
その様子に、どうしてだ、よく知った銀髪の顔が振り向く流れるような所作が、重なったのだった。
「……ガゼ、ル…」
化物、と一度思って見れば、話は簡単だった。
エイリア石の作用で化物と化していった子供たち。あの時は即座に処分されていたけど、今、化物化したら誰も止める手立てはない。
ガゼルはずっとあれを蓄積させていたんだ。その強靭な意志で押さえつけて、ダイヤモンドダストダストのキャプテンとしての使命を果たすために、ずっと保っていた。俺と組んでからは、父さんに対する意地、あるいは韓国代表では円堂守に対する意地、それとも何か別の。
『バーン!』
カオスを結成すべく手を携え合った時、俺はあいつの孤独を感じた。俺が抱えていたのと同じ孤独だった。あの時、俺は確かにあいつと心が通じたと思った。
だからこそ、カオスのダブルキャプテンとして、ファイアブリザード含め、この上ない強力な連携ができた。その連携をもって韓国にも一緒に行った。
なんで一瞬でも忘れてたんだ、あいつは俺にとって重い重い存在だったじゃないか。
俺と心が通じてたことが、あいつの抑止力になってたのかもしれないのに。
化物が俺の方に近づいてくる。俺のことを俺と分かっているのかどうかは分からない。処分された奴らに、化物になった後、元の人間の記憶があるのかなんて聞けたことはなかった。
けど、きっと元には戻らない。
(…でも、だとするなら、やっぱり俺だっていつそうなるか分からないってことだな)
何と言っても、俺と一番近かったガゼルが。
そして、ガゼルや俺ほどの力を持ってる奴が化物化したら、日常に影響を及ぼすくらいの災厄にはなるってことだ。
「災厄が二つになるわけにはいかねぇからな、お前のためじゃねえよ」
俺は、眠らせてた炎の力を、全身から発動させた。
これがガゼルなら、止められるのは俺しか、俺のこのプロミネンスの力しかない。ガゼルの力は凄まじい。これを使い果たせば俺の命も無事には済まないだろう。
(いいぜ、俺の命ごと、お前も燃やし尽くしてやるよ)
ただ、お前との最後の戦いに、サッカーボールがないのだけは残念だなァ。
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夢見屋ハクムさんのお誕生日に差し上げました。例によって遅刻魔申し訳ありません…