休息


かつて、九十九遊馬と闘うということは、生きるか死ぬかの二者択一だった。
オレはナンバーズを手に入れるために奴の魂を奪わなければならなかったし、そもそもオレがナンバーズを回収すること自体がアストラルの消滅を意味していた。あり得ないことだが、もしオレが敗れれば、アストラルがオレのナンバーズを回収する。魂は抜かれないかもしれないが、それはナンバーズハンターとしてのオレの死を意味していた。
「カイトー!」
それがどう転べばこうなると予想できただろう。デュエルカーニバルの後、遊馬はオレを訪れるようになった。彼にとってオレがどういう位置づけなのか、頻繁ではあるが不規則で、何日も来ない時もあれば連日に近い時もある。大勢いるデュエルの相手候補のうちの一人といったところなのだろう。
つまり彼がここに来る目的は、デュエルをするため、それ以上でも以下でもない。
「今日は帰れ」
例のごとく弾丸のように駆け込んできた彼に第一声、単刀直入に言えば、その笑顔が一瞬にして飛んでいく。
「えっ!?」
「デュエルディスクの機能をメンテナンス中だ。まだかかる。今日はデュエルできない」
ギョッとしたような顔になった遊馬に、オレは淡々とそう告げた。何も特別に意地悪を言っているわけではなく、仕方がないことだ。オレとしても、前もって連絡があれば遊馬がここまで来る前に伝えられたが、大体の場合彼はアポイントなしで突然来襲するのでこういうことになってしまうのだ。
「そんなぁ」
遊馬は納得したようだったが、その直後には大きく落胆した。表情がころころ変わって忙しい奴だ。その気まぐれさ加減も長所の一つなのかもしれないが。
「でもせっかく来たんだしなぁ。別にデュエルしなくても、ちょっと遊びたいんだけど!」
それから遊馬はまた一人で勝手に立ち直り、半分予想通り、半分意外な言葉を言った。大人しくすぐ帰らないだろうと思ってはいたが、今から帰れば他の者とデュエルできるかもしれないものを。
「そんなに暇じゃない」
「え、何すんの?」
「バリアンの調査だ」
「えっじゃあオレもそれやりたい!」
「お前では役に立たん」
「ひっでぇ!」
普段通りの無意味なやりとりの中で、オレは遊馬の食い下がり方が、どこかいつもとは違うような、何かに引っ掛かるような気がした。
「いいじゃん、別にジャマしないからさぁ」
その言葉に、オレは見上げてくる遊馬の目を見返した。目が合った瞬間少し怯む以外、その目はぶれるということを知らなかった。どんな時でも、奥底に芯のある光を持っていた。だがその光の中に、今までは見たことのない色が見え隠れしているような気がする。
彼が言う目標とか仲間とかいうのは、デュエルを通してのオレであって、オレ自身だけでは意味がないと思っていた。デュエルできないと分かれば少しは粘ってもすぐ帰るだろうと思っていたが、彼がここまで言うとは珍しい。何かあるのかもしれない。
「…いいだろう」
「だからぁ、…えっ」
オレが諦めて溜息をつくと、遊馬は一瞬状況を飲み込めていなかったようだ。その大きな目をしばたかせて、オレを呆然と見ていた。
「えっ、マジぃ?やったー!ありがとなカイトー!」
理解が通った時、遊馬はボールか何かのように飛び跳ねて、やはり全身で喜びを表現した。
「……」
それ自体は実に彼らしい所作だったが、やはり何か引っ掛かるような気がする。
「…オレは調査をする。その邪魔はするな」
だが見ようとすればするほど、その違和感は霧散した。オレは諦めてそう言った。遊馬は一見普段通りだ。すぐには見つかりそうもない。


手を止めず画面から目を離さないオレの横で、遊馬は息つく間もなく学校での出来事を話す。話の内容に合わせて遊馬がジェスチャーでも入れているらしく、時折ソファが揺れた。登場人物の中には名前と顔が一致しない者もいるが、恐らくオレも見たことはある顔ばかりなのだろう。
「そしたらさぁ、小鳥が掃除当番押し付けてきたんだぜ?今日はカイトのところ行くからって言ってたのにさぁ。もう逃げてくるのも必死だったぜ」
小鳥、と呼ばれた少女のことはよく知っている。言い分は恐らく遊馬より彼女の方が正しいのだろう。だがいちいち咎め立てるのもバカバカしい内容だった。
オレはバリアラピスの画像を呼び出して、入力と参照を繰り返した。特に頭脳を使う必要はない作業だ。遊馬の下らない話を聞きながらでも十分にできる。
「……」
そう思っていたら、何を思ったか遊馬は黙っていた。突然、というわけではなく、何となく言葉を途切れさせたようだった。忍び寄るような沈黙が下りる。
「…どうした」
オレがモニターとキーから目は離さないまま言えば、遊馬の体が跳ねた気配がした。
「えっ…。いや、聞いてんのかなぁ、って思って…」
「観月小鳥が掃除当番を押し付けるから逃げてきた」
「えっ!」
しどろもどろになる遊馬に彼の話を復唱してやったら、遊馬は今日何度目か分からない驚きの声を上げた。
「すっげぇ、お前ってほんとすげぇな!」
と思ったら謎の賞賛を始める。相変わらずオレには、支離滅裂なこいつの言い出すことが分からなかった。
「何がだ」
「オレに全然構ってないような顔して、全部聞いてるんだもんな」
返されたその言葉に、オレは思わず画面から目を離した。流暢に何気なさを装っていたが、今、少しだけ声がいつもより低かった。
「……お前」
オレは遊馬を正面から見た。その言葉の中に、今日こいつが来た時からあった違和感の答えがある。
遊馬はオレと目が合うと息を呑み、目を逸らしはしなかったが、はっきりとうろたえていた。まさか、とかそういう類のことを言いたげな顔だった。
「いや、そのつまりさぁ」
遊馬はその表情そのままにしどろもどろな口調で言葉を探しながら目を白黒させていたが、やがて観念したように息を吐いた後、
「ジャマかなって…思ってさぁ…」
らしくもない消え入りそうな声で、そう言った。
「……」
ようやく、合点がいったような気がした。

以前、アストラルは遊馬の心の奥底にあるのは両親を失った悲しみだと言っていた。それから状況は少し変わったが、今も遊馬は父にも母にも再会できていない。親の代わりに面倒を見ている祖母や姉には気を使うこともあるらしい。見た目より孤独を抱えているのだ。
(遊びたいんだけど!)
(じゃあオレもそれやりたい!)
(ありがとな、カイト!)
さっきの言葉、いつもの彼なら遊びたい、やりたい、じゃなく、遊ぼうぜ、やるぜと言うだろう。オレが居てもいいと言ったことに、礼が出るのもおかしい。
だが、彼の目的がどこにあるのか悟れた今なら分かる。

遊馬は、オレに甘えたかったのだ。

「……」
他の誰かなら、甘ったれた真似を、と思うところだろう。だが、遊馬は普段、誰かに無条件に甘えるということをしない。幼さゆえの甘さはあっても、誰かの手を、愛情を求めるということがほとんどない。――それは彼が強いということもあるが、できない、のだ。その中で、それができそうな相手として、どういうわけかオレを選んだということか(本当にどういうわけなんだ、基本的にオレはこいつに厳しい顔しか向けたことがない)。だがそれも、素直に表現することはできなかった、と。
これだけお気楽な内容の話でうるさくしているようでも、相手にはこれだけ真っ直ぐな受容をぶつけることができても、自分には構って欲しいと言えない。甘えるのが下手なところは、オレと同じなのだろう。

(…仕方がない、今日は折れてやろう)
オレは溜息を一つついて、モニターを一つ閉じた。遊馬が顔を上げるのが分かる。
「うぉっ!?」
今まで見てきたところ、彼の身体能力は13歳としてはかなりのものだが、それでも子供らしい隙だらけだ。オレは簡単に遊馬の体をソファの上に引っくり返し、組み敷いてやることができた。
至近距離で合う目は驚きに限界まで見開かれている。オレは、まだ何が起こったのか分かっていなさそうなその目の中に、笑みをくれてやった。
「……」
遊馬は完全に言葉を失ってオレの顔を見ていた。その顔は純粋な驚きに満ちていて、紅潮する様子もない。
(……この体勢が何を意味するのかは、まだ理解しないだろうな)
彼が起こったことを理解する前に、オレはその上から身体を退いた。それを理解するような相手には使えない。今まではハルトにしか使ったことがなかった。
「何今の!すっげぇ!かっこいい!」
遊馬は案の定、そう言って素早く上半身を起こすと、目を輝かせてそう言っていた。子供らしい興奮の仕方だった。彼は大人よりよほど強い心の持ち主だが、やはり子供の域を抜けていないのだった。
だが遊馬は我儘な物欲しがりではない。これでしばらくは満足するだろう。オレはそう思って、残っているモニターに目を向けようとした。
「おっ、こうか?」
遊馬の声と共に、強く引かれる力を感じる。
「!」
と思ったら、体が浮いて、次の瞬間背にソファの感触。
そして腹の上に、高い体温の塊が確かに乗っている。
「よっしゃ!」
喜びの声を上げる遊馬は、オレのしたことをそっくりそのまま返して、オレの上に馬乗りになっていたのだった。やられた。こいつのこういうことの学習能力を甘く見ていた。他のことにもこれくらいの理解力があれば。
「わっ、ゴメン調子乗った!」
オレが黙って見ていると、遊馬は睨まれていると思ったらしい、突然慌てふためいて起き上がろうとする。
「……」
オレはどういう風の吹き回しか自分でも分からなかったが、その体温が離れていくのを惜しいと思った。自分のためにも、こいつのためにも。

「…カイト…」
遊馬が呆然とした声で呟いてオレを見ていた。オレはその真っ直ぐな目を直視し続けるのも居心地が悪く、眉を寄せて目を閉じる。フォトンハンドの機能を失った右手に、遊馬の背中はハルトよりは広いが、まだ小さかった。
「…へへッ」
遊馬が、何だか分からないが嬉しそうな声を上げるので目を開ける。遊馬は、その黒髪の豊かな頭で、オレの肩に人懐こくすり寄ってきていた。納得半分、意外半分だった――甘えたいのだろうと思ってはいたが、本当に人肌を求めるほどの強い欲求だったらしい。
「カイトってさ」
オレの上に体を預けたまま、遊馬は大事なものを置くような声の出し方をした。
「兄ちゃんみたいだけど、兄ちゃんじゃないんだよな」
意外な言葉が出てきたものだ。遊馬が凌牙やオレを見て兄を欲しがっていたのは知っていたし、遊馬の実の姉とオレは歳が近い。彼がオレに兄を求めていたとしても何の不思議もなかったが、そうではないと。
「……」
オレには実の弟、ハルトがいる。
それを気遣ってのことなのだとしたら、呆れるくらい真っ直ぐな想いだ。
「オレもお前が弟なのは願い下げだ」
「わかってますよーだ」
オレが答えると、遊馬はオレの肩に顔を埋めたまま、拗ねたような声を出した。

「でも、ありがとな」

遊馬がオレと違うのは、こういう感情なら、本当にストレートに表現することができるということだ。

「……」
そう言われてしまえば、オレはお手上げだ。


半分予想通り、そうもしないうちに遊馬はオレの上で寝息を立て始めた。オレより随分高い体温の塊が規則正しいリズムを刻んでいる。
彼のいる学校からハートランドはそう近くないはずだ。まだ子供の体をしている彼にとっては遠い道程だろう。その上、本来ならデュエルをしようとしに来ていたはず。らしくもなく頭も使っていたのだろう。
ここで寝られては、しばらくは身動きがとれそうにない。オレは諦めて溜息をついた。

「兄さん、遊馬が来てるって…」
「!」
しばらくしてから、突然部屋の扉が開いた。
ハルトにとっても遊馬は恩人だ。その来訪を聞きつけて駆けつけてきたのだろう。だがこのタイミングでまさかハルトが来るとは思わず、オレは自分でも分かるくらいに目を見開いて弟を見ていた。ハルトはハルトで、オレの上にいる遊馬が寝ていると分かると両手を口に当てて声を飲み込み、かなり意外そうな顔をして固まっている。
「……」
ハルトにとってはそれは意外なことだろう。オレが今まで、ハルトの見る前で遊馬を甘やかしたこと――どころか、ポジティブな態度を表に出したことはない。だが、この状況を招いたのは間違いなく他ならぬオレだ。大体この体勢で誤魔化しようもないだろう。

オレは諦めて苦笑を漏らし、人差し指を口に当てた。
ハルトもオレを見て、それから遊馬を見て、手を自分の口から外しながらじわりと満面の笑みを浮かべた。


back