現人神
黒バス 紫原×赤司
「やったって勝てないんじゃやる意味ないじゃん」
奴の言うことは、1ミリも共感できた試しはないが、首尾一貫して効率・理論・最大成果に特化していて、その点で矛盾していたことはなかった。だからまぁ何も考えてねぇみたいな言い方してても、実は頭が切れる奴なんだろうということは分かっていた。
けどそれをわざわざ具体的な数字で知ることになるとは。
それはまさしく、オレが赤点補習食らったのを踏み倒して体育館に行こうとしてた時だった。そういうタイミングも含めて、逆撫でが最高に上手い奴だったわけなんだけど。
「お、」
頭に落ち葉か何かかかった、と思ったら、落ち葉じゃなくそれは紙で、更に言えば飛行機の形に折られてる紙だった。
自然な疑問のままに紙飛行機を開けば、それはついさっきオレが赤点を食らったそのままのテスト用紙で、名前の欄には右上がりの癖が強い字が踊ってる、紫原敦。その斜め上に赤で87。
「…クソが」
思わず声として漏れる。平均点65点とか言ってなかったか。真上を見上げれば目に入る屋上に案の定、バカでかいシルエットが柵にもたれかかってるのが逆光に浮かんでいた。
「オイてめぇ嫌味かよ」
屋上に上がれば、奴はまだ同じ格好で脱力したまま、目だけこっちに向けてきた。
「あれぇ、峰ちん」
オレだったのが予想外だったのかもしれない、だが特に驚いた様子の滲まない声で、紫原は間延びした返事を寄越した。
「自慢なら他所でやれ」
例の紙飛行機を奴の足元に投げ返したら、紫原は億劫そうにそのデカい、というよりは長い体を折り曲げた。
「いらないから投げたのにぃ」
そしてその紙飛行機の端の、オレに当たって折れたところを指で直していた。――こんなデカい図体をしていながら、奴は菓子が好きだったり手先が案外器用だったり、こういう時の物言いも覇気のカケラもない。
「なら黙って捨てろよ。名前も点数も書いといてよく言うぜ」
つい言葉の端に僻みが出て舌打ちしたところで、
「あ〜ひょっとして峰ちん補習かぁ」
「うっせぇ黙れ」
すかさず図星を指してくる辺り、決して見た目通りのユルい奴じゃないことは分かってるんだが。どうにも掴みどころがなくて調子を外される奴だ。バスケでキレさえしなきゃ男らしいって感じもしないが、かと言って断じて女っぽいところなんかなく、もうこういう化物と思った方がいい。
「ね〜知ってる?この科目さぁ」
用事は済んだし、オレがちょうど戻ろうとしたところで、またタイミングを外された。こいつがオレにまともな話なんざすると思ってなかったから、物珍しさに足が止まる。
「オレが一番得意な科目なんだよねぇ」
「あぁん?」
そりゃ平均65点で87点取れんだから得意でいてくれねえと困るだろう。頭使う分析を生業にしてるさつきだって、そこまでは取ってねえぞ多分。
「だからどーしたよ」
「うーん、どーしたってことはないけどぉ」
紫原は、せっかくオレが拾ってきた紙飛行機をまた飛ばそうとしていた。まぁオレに当たりさえしなきゃわざわざ拾うこともない、どうしてもそうしたいなら好きにすりゃあいい。それより何を言おうとしてんだコイツは。ちんたらしてる上に歯切れ悪ぃこと言いやがって。
「一番苦手なんだってさぁ」
「あ?」
と思ったら、存外、続く種明かしはコイツにしては割とあっさり明かされた。
「うちのキャプテン」
「……」
これまで、紫原が赤司に歯向かうとか対抗みたいな意識があるように見えたのは、文字通り皆無だった。そんなに赤司のことに関してペラペラ喋るわけじゃないが、その数少ないそれは全部褒め言葉の類だったし、何よりちょっとしたチーム戦とかでも絶対に戦おうとしなかった。だからもうコイツは心の底から、赤司に対しては心酔とか敬意とか、とにかくプラスの感情しかないんだと思ってた。
「…お前でも赤司に負けて悔しいと思うこと、あんだな」
思わずそう零したら、紫原はそれはそれは意外そうな目で振り返った。
「悔しい?オレが?」
「…違えのかよ」
「うん、違うねえ」
それに関してはらしくもない即答で、その歯切れのよさがますます何を考えてるのか分からなくしてた。じゃあ何なんだよ。一番得意で平均65のところ87取れる科目で、赤司の点は多分コイツより上だろう。そしてそれが苦手科目だと言う。この状況で紫原の立場で、悔しいって言葉以外に当てはまるのなんざねえだろ。
オレがそういう類のことを言おうとして息を吸ったところで、紫原はまたオレに背を向けて、
「いっそ、悔しかったらよかったんだけどなぁ」
と呟いて、再び紙飛行機を手から離していた。
「……」
あー、分かったわけじゃないけど、それでちょっとだけ合点がいった。
赤司は確かに凄まじい奴だった。紫原より、オレより全然小さいのに、この身長が重要なファクターになるバスケっていうスポーツにおいて、奴がその気になってできないことがないのだった。
これまで身体的能力に任せて敵なしで来た紫原にとって、それがどれほど大きな衝撃だったか。本人じゃあるまいし分かるわけはねえけど想像はできる。コイツが赤司に対して、普通じゃない心象を持つのも、そこからすると無理もないのかもしれない。
悔しいと思うことすらできないってことは、もちろん憧れとか正の部分もあるだろうが、逆に赤司自体がコイツにとってトラウマみたいなもんだ。
いくら他人から見ていい点取ろうが凄いバスケしようが、赤司に劣っている時点で、コイツにとっては何の価値もなくなるのだ。良くない、だけじゃなくて悪くもない。『どうでもいい』になってしまう。それが色々な場面で顔を出す、コイツの無気力であったり、あるいは格下に対する非情であったりといったところなんだろう。
テストを紙飛行機にして飛ばしてることも、その行為以上の意味は何もないのだ。それを拾った奴にどう評価されたいとかなんか、コイツはこれっぽっちも期待してはいない。
***********
インターハイの準々決勝で、大輝が涼太との試合でかなり本気に近い戦いをしたと聞いた。
ならば、準決勝以降、彼が出てくるのは厳しいだろう。
彼のスタイルで本気になった場合、体に対して反動が顕著に出ることは明らかだ。
大輝に言わせてもそうだろうが、勝ちが決まりきった試合ほど興醒めなものはない。彼のいない桐皇高校を相手に、僕が出たのでは話にならないだろう。ならばいっそのこと準決勝からは、僕らが全員不在の場合の各校の実力を見た方が有意義でさえあるかもしれない。
「……」
とすれば、あとは敦が欠場する必要がある。
言いに行くほどのこともないかもしれない――僕が出ないのを見れば本人が自ら欠場するだろうから――が、一応事前に含めておいた方がいいだろう。
「次の試合は出るのをやめるように」
世間でキセキの世代なんて言われてもてはやされている僕らが堂々と会えば、それだけで注目を集めてしまうだろう。話題が話題だけに、僕は敦を人目につかないところに呼んだ。
「はぁ?」
僕の言葉を聞いて、敦は意味が分からないといった顔をした。彼が見た目通りに何も考えていない奴なだけではないことは知っている。そう言ってすぐに従わなかったとしても不思議ではなかった。
「僕は出ない」
なのでこちらとしても、最低限そう告げてやるのが礼儀というものだろう。
敦は、それを聞いてようやく少し得心したようだったが、納得しきってはいないのか、目がわざとらしく宙を泳いでいた。
「へぇ〜。ならまぁ確かに出る意味ないけどさぁ」
「……」
「元々試合とかしんどいしぃ」
「……」
中学の時のように二つ返事といかないのは、恐らく、彼側の事情と僕が出ないという事実を天秤にかけているのだろう。それを悪いとは思わない。むしろ彼の成長は喜ばしいことだ。
それに。
どれだけ彼が迷おうが、最後に勝つのは僕であることは分かっている。
敦は僕を崇拝している。
僕に従う者は少なくないが、彼はそれとは少し違った。彼からは、何とは説明のできない様々な感情が、完全に均一にならないまま混ざり合ったような雰囲気を感じることが多かった。そのほとんどは、他の者もそうであるように、僕に対する敬服ではあった。だが、わずかながら怨恨、のようなもの、が含まれるのが大きな違いだった。
バスケに対する情熱を持ち合わせていない彼が、未だにバスケに縛られているのは、彼が表向き言っている才能や身体能力が向いている、という理由以上に、僕の存在が大きいことは分かっていた。恨みのように見えるそれは、恐らくそこに絡むものだろう。僕は彼を惹きつけると同時に、彼にとっての絶対的な上位を見せつけておいて逃げることを許さないのだから――僕自身が縛りつけたいと思った覚えはないが、敦が逃げられないと思っている以上そうなのだろう。
そして、自惚れでなどあるはずがない。その中には、僕を女にしたい、というベクトルも含まれていた。
それを異常とは思わない。むしろ、彼のスペックを考えれば悪い気はしない。脈絡のないそれはきっと、崇拝と怨恨が混ざり合った末に出てきた副産物のようなものだろう。
「……」
普通、それを分かっていてこんなことを言うのは非道と呼ばれることだろう。だが敦は、僕にとっては数少ない、骨のある相手としてのスペックを持つ男なのだ。彼を相手に手を抜いてやる必要も、卑怯な手を惜しむこともない。
何より僕も珍しく、退屈凌ぎがしたい気分だった。
「ならば分かりやすい理由をやろう。出ない代わりに僕を好きにするがいい」
そう告げた瞬間、敦の表情に一瞬完全な空白があった。何を言われたのか、理解が追いつかなかったのだろう。
だがひとたびその思考回路が繋がった時、彼は文字通り、『荒れた』。
「……そーいうところがさぁ、大っ嫌いだよ!赤ちんもバスケもさぁ!」
敦がここまで語気を荒げたのを聞いたのは初めてだったかもしれない。
まるで敵に向けるような形相で、敦は僕の肩を掴んで壁に押しつけ、たと思ったら、次の瞬間には首筋の肌に鋭い歯が立てられる感触がした。
「ふふ…はははっ」
思わず笑いが零れた。痛みより、痕が残ることより、愉しみが勝る。
そう、僕を恨みながら、崇拝しながら、そのどちらを取ることもできずに、言われれば従うしかない敦。
僕が体を許すと言えば、どんなに腹を立てていても憎まれ口を利いていても、その劣情に逆らい切れない敦。
お前が可愛くて仕方がない。
まさかバスケと並び称してくれるとは、なかなか光栄じゃないか。
いいだろう、その尊敬も劣情も恨みも、まとめて買うさ。
その代わり、いつまでも、お前の神として君臨する僕でいてあげよう。
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