0が叫ぶ1のための数なき器



アストラルがヌメロンコードのあるとこに行っちまってから、変化が起こったのは、アストラルの姿が見えなくなってからものの5分くらいの間のことだった。
「うわ…っ」
「きゃあッ」
突然またスゲー光が、呆然としてたオレたちの目を突き刺すみたいに光ったんだ。
それが3分くらいかけてゆっくりゆっくり消えてって、目がまた見えるようになった時、そこにはよく知ってる紫色のシルエット――シャークが立っていた。
「……しゃー、く…?」
「……」
オレは、何を見てんのか分からず、ただそう呟いてた。シャークは、まったくの無表情のまま、自分の両手をじっと見てた。それから目を上げて、並んでびっくりしてるオレたちを見て、
「…遊馬」
そう言って、笑ってくれた。
もう、戦わなくていいんだって分かる、すごく穏やかできれいな笑い方だった。
「シャーク…!!」
オレが飛びついて、バカヤロウとか何とか泣きわめきながらシャークの肩をゲンコツで叩いたら、いてぇよバカが、みたいなこと言いながらシャークはちゃんと避けずに受け止めてくれた。人間だ、ちゃんと。今まで通りのシャークがいてくれてる。


「カイト!」
「!」
その時、鋭い男の声がして、オレはシャークに抱きついたまま振り返った。
オレたちから少し離れたところ、黒いコートの姿のカイトが片膝ついて座ってて、その横にオービタルも珍しく座り込んでるみたいにしてそこにいた。そのカイトたちのところへ、真っ先に走ってってるのは――Xだった。近くにいたの、気づかなかった。
「……」
目を上げて、Xのこと見て、無言のカイト。駆けつけても抱きしめたりはしないX。オレのことアストラル世界に送り出してくれた時と同じ、すごい絆が見えた。

それからすぐ、ハルトとフェイカーも駆けつけてきて、ハルトなんか大泣きでカイトにしがみついてた。
「兄さん…兄さぁあん…うわあああん」
「心配かけたな、ハルト」
カイトも、ハルトのことはちゃんと抱きしめ返して、それに答えてる。
「……」
ハルトを抱きしめて撫でてるカイトが、遠くにいるまんまのオレを見つけて、目を少し上げた。
目が合う。
オレを見たカイトが、微笑む。きれいな顔。
オレのこと、変わらず大切に想ってくれてることが分かる、きれいな顔。

(あ…れ)
足が、動かない。シャークと同じように、カイトが帰ってきたことも確かめたいのに、オレはどうしてもその輪の中に入ってくことができなかった。
「……」
だって、オレは、カイトのこと一番に考えてなかったんだ。
カイトのこと一番に考えてる人がこんなにたくさんいる中で、オレは。


***********

オレがアストラルによって息を吹き返して以来、遊馬の様子がどこかおかしかった。
時折デュエルを挑みに訪れるのは以前と変わらず、ハルトの面倒もよく見ようとし、オレが研究を共にしている関係でよく顔を合わせるようになったクリスとも、笑顔で言葉を交わしている。一見、何の不自然さもなかった。月でオレが息絶える時に果たせなかった約束を守るために来ていて、この状況を心から喜んでいるように見えた。
「カイト……あ、遊馬、来ていたんだね」
「クリス」
「おうX!」
遊馬とのデュエルの最中、恐らく進行中のプロジェクトのことでオレを探しに来たクリスを遊馬が目にした時、
「仕事のことか?じゃあオレ、ハルトと遊んで待ってるぜ!」
遊馬はそう言って笑って、デュエルを中断して走り去って行ったのだった。
「……」
一見、不自然なところはない。
だからこそ余計に、微妙な歯車のズレが強調されて見えるように、オレには思えるのだ。
『だぁ〜〜っカイトやっぱつぇえ…』
『フン、当然だ』
『なぁもう一回!もう一回だけお願い〜』
『今日はダメだ。明日にしろ』
『えっ!明日も来ていいの?やったーっ』
以前のあいつなら、デュエルとオレを、こんなにもあっさりと放り出したりしただろうか。


「私との約束を守るために、私との別れを気丈に耐え抜いたあの子のもとへ、帰ってやってくれないか」
ヌメロンコードの間で、アストラルに呼び寄せられた時、アストラルの掌の上で聴いた言葉を、鮮烈に覚えている。その時他に誰がいたのか、そこがどんな場所だったのか、そういうことはあまりはっきりしなかった。だが、アストラルに託された言葉だけは、夢や幻と間違いようがないほど克明に、魂に刻み込まれていた。
当初、安易な復活を躊躇ったオレに、アストラルは遊馬と同じことを言うね、と少し寂しげな苦笑を浮かべていた。
「あの子は、私の半身だったんだ」
そうして、突如としてオレは、その事実――遊馬自身も知らないであろう彼の正体についての事実を、告げられたのだった。
「はるか昔のドン・サウザンドとの戦いで私と分かたれて、何百年も何千年も彷徨って、ようやくヒトに生まれついた私の魂の片割れだった」
そう遊馬のことを語るアストラルの目は、よく見知った彼への慈愛に満ち溢れ――同時に、今まで見たことのないような寂寥感も、時折ちらついていた。
「あの子はこれからも私という半身を失い続けることになる。あの子のイメージにそぐわない不安定さを露呈することもあるだろう。どうかキミたちが、見守ってやってくれ」
それも無理はないことだと思った。アストラルが言うように、遊馬が半身を失い続けることも事実だが、アストラルもまた半身を失い続けることになるのだ。愛だけでは足りない魂の片割れを、自らの目で見守ることができないことは、割り切って別れてきたのだとしても拭いきれない寂しさがあるものに違いない。オレは折れざるを得なかった。アストラルのその瞳に、負けた。自然を捻じ曲げてでも遊馬のもとへ帰ることを、選ばずにはいられなかった。
息を吹き返した全員がそれを覚えているのかどうかは分からない。確認してみようとも思わなかった。それを覚えているにせよいないにせよ、遊馬には少なからぬ因縁を持った者たちばかりだ。どうせ、似たような決意を持ってこの世に戻ってきたのだろう。

遊馬は何を考えているのか、ごく自然に、オレと二人きりになることを避けているようだった。とりわけクリスと一緒にいるオレを見た時に、何かおかしくなるようだった。アストラルの言ったように、それまでの遊馬の姿からするとあまり想像できないような乱れ方――一見して分かるほどではないにせよ――だった。アストラルを喪失した言いようのない不安に苛まれて、何か馬鹿なことを考えているのかもしれない。その不安の全容を、オレは見届けなければならないだろう。
それがどんなに巨大で、ヒトの手には負えないようなものだったとしても。


***********

デュエル中断してハルトと遊んでる最中に、突然D・ゲイザーにカイトからメールが入った。夜ならまとまって空く、今日は泊まって行け。そんな短いメールだった。
「え…どうしよ」
「いいじゃん!遊馬、泊まって行こうよ!遊馬が泊まってくれるんだったらぼく、デザート作るよ!がんばるよ!」
そのメールを見て、色めきたったのはオレよりハルトだった。まぁ、明日別に予定あるとかじゃねえし、理由もないのに無理して帰ってハルトを寂しがらせるのもなんだし、それでもいいか…。オレは、分かったってカイトに返信して、家にもそう連絡入れる。
「……」
でもカイト、何考えてんだ?
こんなにカイトと話す時間ができることになるとは思ってなくて、何か落ち着かないぜ。


宣言通り、夜になってから戻ってきたカイトと、中断してたデュエルを終わらして(やっぱ勝てなかった、ちくしょう)、そのまま夕飯ごちそうになって、ハルトが作ったデザートもめちゃくちゃ美味かった。
「なぁカイト、そういえばオレどこで寝ればいいの」
特に新しくなってからはカイトのとこに泊まるの初めてだったから、オレは何となくそう聞いた。これだけでかいんだから客用の部屋とかあるんじゃねえかと思ってたのに、
「オレの部屋にソファベッドがある。それで我慢しろ」
カイトの答えはオレの予想の斜め上だった。
「……」
カイトの、部屋で…?
そしたら、寝る前には、絶対カイトとだけ話さなくちゃいけなくなる。
「お、おう」
あれ、でも、別にそうだったからって何がいけねえんだ…?カイトと話すのなんて今までいくらでもしてきたのに。なんでこんな、冷たい気分になんなきゃいけないんだよ?


メシのあと、ハルトが眠くなるまで遊びたいって言うから、カイトと三人でトランプとかして(ハルトは強かったからたぶんデュエル始めたらデュエルもうまくなるだろうなぁ)、ハルトが寝る時にカイトがハルトを部屋に連れてって、その間オレは先に風呂入ってろって言われた。
カイトたちと一緒に過ごすのは、スゲー楽しかった。だから、さっきの変な感じなんて、きっと気のせいなんだろう。そう思ったのに、オレが風呂から出て部屋に戻った時、カイトがそこにいて、二人っきりで目が合った時、やっぱりダメだ、カイトと話せない、なぜかそう思った。
「か、カイト!オレ、もう寝ねえと…!」
「遊馬」
目をそらして逃げようとするオレに、カイトは立ち上がってオレにはっきり近寄ってきた。
「……」
手をつかまれて、至近距離でじっと見られて、思わず吐いた息が震えてる。あれ、どうしてこんなにガチガチになってんだ?オレ、カイトのことこわいなんて思ったこと、一番最初以外にあったっけ…。
カイトは、オレのこと注意深く見てる、ってカンジがした。オレ、一体どんな顔してんだろう。カイトはそんなに強くオレの手を掴んでるわけじゃない。振り払おうと思ったら簡単にできそうなくらいだった。
「どうしたんだ」
カイトは、オレの顔を見たまんま特に表情を変えずに、ゆっくりそう言った。
「どうしたって、なにが…」
「どうしたんだ」
「ほんと何でもねえから!」
オレは、その強くはないカイトの手を振り払って、今度こそ布団に潜り込む。これ以上カイトの顔見てたら、ダメになる気がした。何がかはわかんねえけど、こわかった。
「!」
そしたら、オレの横がギシって言って沈んで、布団の上から、丸まってるオレの肩に、何かがそっと触った。カイトの、両手が置かれたんだ、って分かった。
「……どうしたんだ」
布団の外で、カイトは繰り返した。特に強くない、短い問いかけ。オレのこと――オレ自身だってよくわかってないオレのこと、ずっと観察なんてしてなくっても、いつも一緒になんていなくても、よく分かってくれてるんだ。戻ってくる前と何にも変わらず、オレのことも大事に想ってくれてるんだ。
「………」
『カイト!』
『兄さん!兄さぁあん』
そんな大事なやつだったはずのカイトを、オレは。


「……オレ…」
あ、ダメだって。オレ自身がオレ自身の考えにちゃんと向き合ってもねえのに、こんなこと言っちゃ、そう思ってんのに、口は勝手に喋りだした。
「オレ、一番に考えてなかったんだ、カイトのこと…」
カイトは、何も言わず、手も動かさずに、オレが口走ってることをじっと聞いてた。
「アストラルがいなくなって、それがせいいっぱいで…カイトのとこに、真っ先にかけつけらんなかった」
「……そうだな」
カイトは、すごく穏やかに答えてくれた。そのことを、全然怒ってない声。オレは、それでどっかめちゃくちゃ安心しちまったのかもしれない。
「シャークが、オレのこと一番じゃなかったの……」
え、シャーク?オレは自分が言い出したことに自分でもびっくりした。そんなこと考えてる自覚、ほとんどなかった。
「……」
カイトは何も言わない。オレの口はすらすら動き続ける。
「しょうがねえって…立場から逃げないでバリアン世界のこと絶対守るって言ってるシャークのこと、その時はめちゃくちゃかっこいいって思ったはずなのに、あとから、なんかショックで…」
「……」
「オレ、シャークのこと助けられなくって、オレが死なせちまったようなもんなのに、でもシャークは笑って戻ってきてくれてて……こんなん、考えんのもおかしいのに」
何だろ、言っててすごく痛い。心が。こんなこと、オレ考えてたのか。オレがこわかったのって、もしかして、これ――オレ、なのか…?こんなこと考えちまうオレが、一番おかしいんじゃねえかって、それに向き合いたくなかったのか…?
「それなのに、オレが、カイトのこと」
「遊馬」
カイトが、突然オレを遮って、オレの名前を呼んだ。ずっと喋り続けてたオレは、思わず息が止まる。
「一番かどうかがそんなに大事なら、アストラル世界に行ってしまえ」
「……」
カイトが言ったことに、オレは完全に目を円くしてた。なに、何言ってんだカイトは?手は死ぬほど優しいのに、言ってることはいつも通り厳しくて、何がなんだかわかんなくなっちまう。
「お前には、アストラルという命より大事な存在がいるだろう。一番が大事なのだと、それだけでいいと言うのなら、すべてを捨てて行けばいい」
カイトは、そう言いながら、オレの肩に置いてた手をゆっくり動かして、オレが頭から被ってる布団をめくった。オレはそれを取り返そうとは思えなかった。円くしたまんまの目でカイトを見ると、カイトは、言葉じゃなくて手つき通りの、優しい目をしてた。
「オレとお前は元々そうじゃないだろう」
そう言って、カイトはすっと――そんなに急にじゃないけど、ゆっくりとは到底言えないような速さで、オレの体を抱きしめた。思わず、ひゅうっと喉が鳴る。カイトが抱きしめてくれたことなんて、今までなかった。
「一番じゃなければ、オレの腕は冷たいか?」
「――」
そんで、頭の上から降ってきた声は、カイトの胸の中からも聴こえてきて――どっちも、めちゃくちゃあったかかった。
「……」
オレのガマンなんか、全然ものともしないで、溶かしちまうあったかさ、だった。
「ううッ…かい、かいとォ…」
オレは夢中でそのあったかいカイトにしがみついて、気がついたら涙がこぼれてきて。そのまま、スゲー長いこと、わんわん泣いてた。
オレがオレでいいって、言ってくれるカイトが、すごくすごくかっこよくて。
カイトにまた会えて、ほんとによかった。って、初めて心の底から、そう思えたんだ。


***********

お前がヒトならぬものだと言うなら。ヒトの身には余るほどの愛を振り撒き、救い、そしてその分、欲すると言うのなら。
オレは必ず迎え撃ってやる。
そのために人間離れした心の器が必要なら、オレはそれを持っていてやる。そのためにこの体が生きていることが必要なら、息を続けていてやる。
お前が、半身を失った膨大で冷たい悲鳴を、体の中に封じ込めてしまうことがないように。
お前がお前であることを、数字で図れない優しい輝きを、見失うことがないように。


最終話を受けてのことです


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