夏祭り



「縁日行きたい」
ある日帰ってくるなり言い出した晴矢に、私は一瞬反応できなかった。
「行きたい」
「何なんだ急に」
私はその時夕飯の料理をしている最中で、晴矢にだけ構っているわけにもいかなかったのだが、晴矢が延々行きたいと主張するので振り返らざるを得なかった。
「再来週の日曜あんだよ、俺の高校の近くで。行こうぜ」
「はぁ…随分急なんだな」
晴矢は私の意見など聞いていないようだった。もう彼の中で行くことは決定していて、私が本気で嫌がらない限り揺らがないのだろう。まぁ別にそんなに嫌でもないし、付き合ってやる分には構わないけれど。
「君の高校の方だと場所は全然分からないからな。地理は任せるぞ」
「おっ行ってくれんの?やりぃ」
私が承諾の意を示せば晴矢はそれは喜ばしそうに笑った。この男は普段獣じみたかっこよさを見せる割に、こういう時は実に無邪気なところもあるのだった。それはバーンだった頃からそうで、年齢を重ねたら減ってきたかと思いきや、まだまだ珍しいというほどでもない頻度で出てきた。私にはあまりない部分だったから、とても眩しいと感じる。
「あ、そうそうそれと」
「ん」
「浴衣着てくれよ浴衣」
「はぁ???」
晴矢の突拍子もない要望に、思わず私も間抜けな声を出してしまった。
「浴衣…って、簡単に言うけど高いんだぞ。女物みたいに派手でもないし私が着て何になる」
本当に浴衣というものは高くて、奨学金とバイトで食い繋いでいる私達には痛すぎる出費になる。費用対効果を考えたら一番抑えるべき出費なんじゃないだろうか。
「イベントなんだぜ、金のことなんか考えんなよ。お前が着るなら俺も着るから。互いに内緒で買ってさ、当日初めて見るとかいいじゃん」
しかし晴矢も食い下がる。確かにその提案は魅力的ではあるけれど。でも今月そんなに余裕があったとも思えないのだが…。
考えを色々巡らせながら黙ったまま料理を続けていたら、急にぐいっと引っ張られて、振り向いた隙に唇を奪われた。
「危ないだろう」
苦笑して言えば、もう一度やられた。今度は少し深い。
「んんっ…ふ」
思わずくぐもった声が漏れる程度には濃厚な交わり。しかし料理があるのでそう長くもなく開放される。ゆっくり目を開いて晴矢を見れば、晴矢は少し抑え目の声で言った。
「俺の浴衣、そんなに興味ねえのか…?俺はお前の浴衣姿見たくてしょうがねえんだぜ」
「……」
そういう言い方は、卑怯だと思う。興味ないわけはないじゃないか。ただ現実的な心配があるだけで。
「来月のバイトは毎日残業だな」
「おお」
「私の浴衣など…期待しても何もないぞ」
「いーや、あるね。俺だってねぇけどお前にとってはあるだろ」
「……」
自信に満ちた晴矢の言葉。何も言い返せなかった。昔から、彼は、過不足ない自信を持っていて隠そうとしない。それが最高にかっこよくて、今も好きなところだった。
「じゃ、決まりな!準備しとけよ、再来週の日曜だぜ」
私が絶句したのを了承と取って、晴矢は明るく言った。
そんなに嬉しそうな顔をされては、嫌と言えるはずがない。
「わかったよ」
バイト…少し増やすか。

***********

その日は晴矢は午前中バイトがあるとかで、バイト先から直接行くんだと言っていた。着替えもあるからいったん戻ってくればいいのにと思ったが、どうも彼が待ち合わせというものをしたがっているのだと何となく感じて、黙っておくことにした。確かに、せっかく互いに秘密で買った浴衣なのだ、その場で初めて見る方がいいかもしれない。
私の買った浴衣は実に簡素だった。男物は元々地味だけれど、その中でもせめて目が飽きなくて、かつ値段も手が届くものをと思って、白地に墨で彼岸花の柄が踊っているものを選んだ。だが私は髪が白に近いから、それだと本当にモノクロトーンになってしまって地味なことこの上ない。まぁ晴矢だって私に華やかさなんか求めてないだろうから、それでいいと思っていた。
一緒に住むようになって、二人で出かけることはあっても待ち合わせなんてほとんどしない。だから出かける時は何だか緊張した。普段より歩きづらいし、土地も詳しくない場所で、浴衣なんか着ているから奇異の目で見られる感覚。久しぶりだった。夏祭りは既に始まっているようだったが、指定された時計の下にまだ晴矢の姿はない。一種の居心地悪さに苛まれながら時間を確認したら、まだ時間まで10分ほどあった。
ぼんやりと祭りの様子を眺める。こういう祭りに参加したことは、実は数えるほどもなかった。おひさま園の時に少しあったか、でもそれだってすぐジェネシス計画が始まってしまってほとんど記憶に残っていない。どんな雰囲気なのか、楽しみにしていなかったと言えば嘘になった。
ふと、自分の肩を叩く感触があって、振り返った。
晴矢が、俯き気味にそこにいた。
「晴矢」
こういう時晴矢は普通なら名前を呼んでくるのに珍しいな、と思って言うと、
「おぉ…お前、すげえな…想像以上」
と動揺した声で返ってきた。
そう言う晴矢は、白地に半分濃い灰色で、髪と同じ色の赤の流し柄の入っている浴衣を着ていた。背が伸びた晴矢に良く似合っていて、目の金色もあってとても鮮やかだ。同じ男物なのにここまで違うのかというくらいかっこいい。
「君こそ…すごいね」
「そうか?そんなお前に言われたってな…」
晴矢は直視できねんだよ、と呟いたまま目を合わせようとしなかった。まぁ、私は自分の姿にそんなに自信は持てないけれど、こんなに晴矢が満足してくれるならそれでいいか、と思う。
「じゃあ行くか?行きたかったんだろう、縁日」
「おぉ…行くか」
まだ動揺の去っていない様子ながら晴矢が身を起こす。並んで歩き出したら、私より少しだけ高くなった背で慣れない下駄と思えない悠然とした歩き方。道行く人、特に華やかな女物をまとった女性達が振り返るのが分かる。私は誇らしげな気分になって口角を少しだけ上げた。

小さい頃憧れだった綿菓子を買ったら、晴矢には勿論私でも甘すぎて途中で食べるのに四苦八苦したり、金魚すくいで晴矢と競ったら同数だったり。輪投げでWiiを当てたけれどテレビがないので、欲しいと泣いていた子供に譲ったり。お面を買って笑い合ったり。楽しいひと時は過ぎるのも早い。
祭りの熱気に額に浮いた汗を指でぬぐったら、晴矢が疲れたなら休むか、と言ってくる。私が頷くと、晴矢は私の手を絡め取って歩き出した。人目がまだあったけれど、私もそっと握り返す。これだけかっこいいんだから、少しくらい奇異の目で見られたって構いやしない。
少し外れたところに川があり、その土手の横に公園と呼ぶにはやや深い林があった。晴矢はそこに歩いていく。祭りの喧騒が遠くになり、電灯もないそこは暗くて、さっきまで明るい場所にいた目には深い闇に見える。振り返れば提灯の列が遠くに見えていて、そうも離れていないことを知る。林は一応公園というコンセプトだったらしく、木のベンチがあったが、もうだいぶ使われていないだろうと思われた。そのベンチに、晴矢と私は腰を下ろした。
「どうよ、悪くねえだろ」
「そうだね、楽しかったよ。これから花火があるんだろう」
「おぉ。毎年うちの高校の一個上の学年がその花火の企画に参加するんだとさ」
「へぇ…じゃあ君も来年やるのかい」
「まぁそうなるな」
なるほど、と私は思った。晴矢はどのみち来年の下見のためにこの花火を見に来なければならなかったのだ。それでどうせならデートしたいとでも思ってくれたということなのだろう。この林も、迷いなく来たところを見ると目をつけていたに違いない。確かにここなら誰も通らない上に花火はしっかり見える位置だった。
「しかし暑いな、浴衣は。もう少し涼しいイメージだったけど」
縁日でもらったうちわを右手で仰ぎながら私が言うと、繋いだままの左手から晴矢の指に力がこめられたのを感じる。思わず振り向いたら、晴矢の目が暗がりに光っていた。
「―――」
思わず絶句していると、晴矢が身を乗り出してきた。私も吸い寄せられるように応えてしまう。祭りの喧騒がまだ遠くに聞こえる中で、晴矢と私の唇が触れる、そのまま深く交わり合う。間違いなく外なのに、少し歩けば人があんなにもいるのに、いやかえってだからこそ、体に徐々に火がついていく。
「ふ…っ」
口内を貪り合うようなその交わりに、逃げ場のなくなった息が漏れる時に音を伴う。絡め合った指に力がこもる。
ふと唇が離れた時、
「お前さ…」
顔を離さないまま掠れた声で言った。
「ん」
「今日…すっげーキレイ。誘って良かったマジ」
「―――」
晴矢は普段あんまり好きとか直接的な愛情表現をしない。あまりの不意打ちに思わず絶句する。やや遅れて顔に熱が集まってきた。これだけ暗ければ赤くなっていてもバレはしないだろうか、あぁでも、本当に今そんなこと言ってくるなんて反則で。
晴矢は今度は私の顔をしっかり捕らえてキスを贈ってきた。深い、でも何だかいつもの荒々しさは鳴りを潜めて、まるで味わうように丁寧な舌遣いだった。
「甘」
「さっきの綿菓子だね」
離れた時に短く漏らす晴矢にそう言ったら、晴矢がクスクス笑ったので私もつられて笑う。
「君も今日はかっこいいよ」
せめて同じことくらい言ってやりたくてそう言ったら、
「ハッ…いつもだろ」
晴矢は笑いまで漏らしてそう答えた。
「…この自信家が」
「だからいいんだろ」
「まぁね」
見抜かれているなぁと苦笑しながら、求められるままもう一度唇を重ねる。
晴矢を味わいながら目を閉じている私の耳に、ドン、と腹に響く音がした。
花火が始まったのか、と思う。
でも晴矢がますます強く引きつけてくるので、私の意識は彼に夢中になってしまった。
いいのかい、君が見ないといけない花火なんじゃないのか。
でもそれより私を選ぶ晴矢に何だか誇らしい気分になって、もう全部忘れて夢中になることにした。

夏だから。
たまには金なんか気にせず君と遊ぼう。



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ネタ提供shim@様!設定は筆記体と同じで別々の高校に通いつつ同棲中と思ってくれ!縁日とかいいよね!