君に選ばれたそのひと
一緒に暮らすようになってから、家事や買い出しも交互にやっていたけど、晴矢が私のやり方とか買うもの、作る料理などに、口を出したことはほとんどなかった。逆に、私が晴矢のやり方に口うるさく色々言うことの方が多かった。意外なような納得なような、彼は家事やそういったことに関しては結構いい加減で、私からしたら収まりが悪くて仕方ないことでも平気なようだった。私だって全部に口出しはしなかったけれど、どうしても譲れないポイントだけでも言っていると数は結構なものに上る。でも彼は、いちいち細けーな、と言いながらも私の言うことに従い、その次からはきちんと直してくれた。
一緒に住む前は、付き合う前も付き合ってからもワンマンなイメージしかなかったので、そういう一面に関してははっきりと意外だった。
「妙に聞き分けがいいじゃないか」
「別に。そんなん……何でもいいし」
その妙な空白に、少し首を傾げたけれど、そうしてくれるのはありがたいのでそれ以上は突っ込まなかった。
ところが、そう思ってからそうも経たないある日のことだった。
買い出しの順番が回ってきた私が、晴矢がいつも飲んでいるココア味飲料の粉末がなくなっているのに気付き、代わりに似たようなココア飲料粉末の詰め替え用を適当に買って帰った。しばらくしてからそれを開け、ミルクに溶かして出した時、晴矢は眉をしかめた。
「これ…いつものじゃねえだろ」
「え、そう…だけど」
「これよりあれの方が美味いんだよ…あれにしてくれない?」
今までどんなものに対しても適当でしかなかった晴矢が、初めて口にした拘りの類のことだった。
私は即座にスーパーへ行き、いつもの粉末の詰め替え用を買い、走って帰った。
「おいおい…別に次からで良かったんだぜ」
息を上げた私を迎えながら晴矢は苦笑していたが、そう言いながらもその袋を見て少し嬉しそうにしていた。その夜久しぶりにヤろうぜ、なんて言って私を抱いて、その間もあとも妙に上機嫌だった。
確かに彼は舌に関しては意外と肥えていて、私の料理ではなかなか合格点が出ないだろうというレベルだった。しかしそうは言っても不合格になるほどのものはほとんどなくて、食えなくはねーよと言って何でも食べもする。その晴矢が、そんなに拘るほどの味の差なのだろうか?不思議に思って自分でも二つを飲み比べてみたけど、私にはあまりその違いが分からなかった。
何でこれだけがそんなに。そう思ったら、自分でも子どもじみていて呆れて笑いたくなるけれど、その緑色のパッケージが憎たらしくなってきた。私は男で、いつ捨てられるか分からない。それでも彼に見合うよう、常にスペックを磨き続けているのに、この緑色のものは、そんな努力一切払わずに彼の気を引くことができるのだ。
ある時、蓋の密封が甘かったのか、湿気が高かったのか、買い足して間もないはずのその粉が完膚なきまでに固まってしまったことがあった。
「なんだよこれ…」
私が帰宅すると、キッチンで晴矢が独り言を言いながらその瓶にスプーンを突き刺そうとしていた。晴矢の力だって相当強いはずなのに、スプーンの方が負けそうなほどびくともせずにいる。
「…ざまぁみろ」
私が思わず口の中で呟いて通り過ぎ、荷物を置いて着替えようとすると、気がつくとスプーンの音が止んでいた。
まさかと思って振り返ると、晴矢がこっちを見たまま粉末よろしく固まっている。しまった、やっぱり聞こえていたのか。晴矢に対してではない、誤解を解かなければ、と思った時だった。
「…親父ギャグ?」
「違う!」
晴矢が呟くように言ったまさかの言葉に、私は瞬時に否定していた。
「じゃあ何」
「いや…別に。君に言ったんじゃないよ」
それ以上突っ込まれても困るので、私は目を逸らして話を終わらせようとした。そのまま中断していた着替えを再開する。
「ひぁっ!?」
はずが、途中服で目が見えない間に冷たい手が腹に触れて、私は物凄く裏返った声を出してしまった。
「何するんだ!」
服から顔を出して、予想通り背後から私に手を伸ばしていた晴矢に、思わず振り返って怒鳴りつける。
「いやー?かわいいなァお前って。と思って」
予想通りというか何と言うか、晴矢は全く動揺せずに悪巧みしている時の顔で笑っていた。
「な、にが…、ん」
反論しようとしたら無理矢理唇を奪われ、封じられる。その間に、上半身裸の私の肌の上を、不埒な手がなぞり始める。何、どうしてこうなった?こんな、私は帰ってきたばかりなのに。
「待て、晴矢、待って」
「えー」
そのまま私の首筋に顔を埋めようとした晴矢を、私は何とか両手で制止する。晴矢は不満そうな声を出して、私を上目遣いで見上げた。
「ヤらしてくんねーの?俺、あっちに浮気しちゃおうかなァ」
そう言いながら、晴矢はチラリと、彼がテーブルの上に放置してきたその緑色ラベルが貼ってある瓶へ目をやって、もう一度私をニヤニヤしながら見た。
「……―――…」
私は自分でも分かるほど真っ赤になった。クソ、こいつ、全部分かってるんじゃないか。
でも、あっちに浮気、という言葉で、彼は私に告げていたのだ。
本命は私だ、と。
『別に。そんなん……何でもいいし』
(お前が一緒ならな)
好きとか愛してるとかそういう表現は一切しないけれど、そうやって子どもっぽい嫉妬をココアなんかに向けているバカな私を、安心させてくれる。
「……このあと夕飯を作るのは私なんだから、」
私は顔を見られたくなくて、晴矢の体に抱きついた。
「乱暴にはするなよ…」
「へいへい」
こんなことで、こんなことなんかで、涙ぐんでいる情けない顔を。
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黒革準様宅のミロが完膚なきまでに固まったそうでババっと思いつきました(笑)ネタ提供ありがとうございます!