時の迷い子



気がついた時、俺は生温い空間を漂っていた。ここはどこだろう。――緩やかに輪郭を取り戻す意識の中で、俺は自分が何を試みたのか思い出した。トウヤの世界へ行くための逆召喚術を自分にかけたんだ。
(これは…向こうでもリィンバウムでもない…狭間の空間…?)
ゴールに辿りつけていない、ということは、俺は失敗したんだろうか。でも、体ごと吹っ飛ぶとかそういう失敗ではなかったのは不幸中の幸いかな。ここから、何かまだやりようがあるんだろうか。
向こうの世界とリィンバウムの時間の流れが同じかどうかは分からなかった。少しでも早く、と焦る一方で、逆召喚――こっちから向こうに行く、なんて前例がないだけじゃなくエルゴの結界だって閉じてて必要なエネルギーは上がっていて、100%の確証なんてどうやっても持てなかった。それでも少しでも生き残れる確率を上げるために、はやる心は抑えて、できることは全部やってきたはずだ。
(計算式を間違えた…?あんなに何度も確認したのに)
そう、死ぬほど確認した。数百枚に及ぶ紙に書いた数式を全部暗記するくらい読み直した。今だって隅々まで思い返せる。間違いはなかった。
(じゃあ魔力が足りなかった…?)
魔力だけは誰にも負けない自信があった、それを全部使ったんだ。俺でも足りないと言うのなら、それこそ魔王化でもしない限り無理だ。でもトウヤは召喚士の力で向こうからこっちに来た。逆だけが無理だなんてそんなことは。
やっぱりエルゴの結界が閉じたのが大きいのか。いや、でもそれだって計算に入れたはずだ。
「……」
一体、何が足りないんだ。
俺の魔力の量は前回と同じか今回の方が強いくらいだ。結界のことは補正した。あと、違うことと言えば。
(……召喚…)
俺の呼ぶ声に応えてトウヤは来た。
だったら、トウヤが俺を呼んでいなければ。

『一緒に帰ろう、みんなのところへ!』
俺に初めて差し伸べられた温かくて眩しい手を、笑顔を思い出す。戦いに臨む強い意志を持った、厳しい横顔も。あぁ、トウヤ、お前は俺を呼んでくれるのかな。俺の中にこんなにトウヤが残っているほど、お前の中に俺は残っているのかな。俺にとってはお前しかいないけど、お前にとってはきっと俺以外にも仲間はたくさんいる。それはリィンバウムに居た時からずっとそうだった。お前は俺を救ってくれたけど、俺はお前に何かしてやれたのか。
「……トウヤ、」
呟いた声は微妙な響き方をして空間に消えていった。もし、トウヤが俺を呼んでくれなかったら、俺はこのまま向こうの世界にも行けず、リィンバウムにも戻れず、ここで消滅しちゃうのかな。それならまだいいけど、時間が歪んで、向こうの世界のトウヤとも元のリィンバウムとも違う時代に落ちるとか、もっと別の世界に投げ出されるかもしれない。今からだって体ごと吹っ飛ばないとも限らない。
「……」
でも、それでもいい。
失敗して死んでも、お前に会えないままならその方がいいと思ったんだ。もし別の場所に落とされたって、そこからまた会いに行ってやる。俺の命が繋がってる限り、何度でも。

だから、お願いだ。
どうか、呼んでくれ、トウヤ。
会いたいと思うこの気持ちが、同じであってくれ。

お前の声が聞こえたら、温度を感じられたら、俺は絶対にそれを逃がさない。それを道標にして、この虚無の空間から抜け出してみせる。どんなに些細でも、遠くても、間違えずに飛び込む自信があるんだ。


**********

「…ル、ソル?朝だよ」
「ん…」
柔らかい眩しさと慕わしい声に呼ばれて、俺は目を開けた。トウヤの顔とその向こうに見える天井。今日も学校か。
「えーもう…今何時?」
「7時半だよ」
「うわぁ…」
俺は重い上体を起こした。伸びをする俺の横で、トウヤはもうきっちりと身支度を済ませてた。眠りが浅かったのかな。にしてもあんな夢見るなんてな。

そう、俺は、この世界に降り立つことができた。
トウヤは、呼んでくれたんだ。
身元の保証とか学校とか、ここで生きてくための煩雑な手続きも、トウヤとその両親――結局、親にだけは全部話すことになっちゃった、とトウヤは言っていた――がしてくれた。俺が想像していた以上に、俺がここに存在することは面倒なことなんだって思い知った。それなのにトウヤは終始嬉しそうな顔をしてくれていた。

「どうしたの、変な夢でも見た?」
「!」
トウヤが俺を覗き込んできた。あー、そう、トウヤって、ほんと俺のことになると鋭いってか聡い。敵わないんだよな、今も昔も。
「まぁ、変な夢っちゃ変な夢だったけど。別に大丈夫」
「そう?」
まだ心配そうな顔をしてるトウヤに、
「うん。トウヤがいれば大丈夫」
とびきりの笑顔でそう言ったら、トウヤは照れたような感極まったような笑顔になった。
「珍しいな、ソルが甘えてくれるんだ」
「いいだろ、たまにはさ」
我ながら生意気な口を返すと、トウヤは軽い音を立ててキスしてきた。可愛がられてるよな、ほんとに。実際は、たまにどころか甘ったれっ放しなんだけど。トウヤがしてくれた色々なこと、まだ何も返せてない。


そう、あの時も今も、俺は、結局お前に救われてばっかりなんだ。
だからこそ、俺はこれから一生かけて、お前のためにこの命を使うんだ。俺を助けてくれたお前に、今度こそ何か、恩返しができるように。


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未だに色々な意味での戦慄を覚えます恋愛エンド