獲物にあらず

ダンジジジャー 橙矢×葵

それは暑さの残る秋の日のことだった。

ワルカーとは毎日戦ってるわけではなく、台風なんかで九州が存在感を出すと結構来なくなることもあって、割と戦う日と暇な日の差が激しい。今日は別に台風とかはなかったけどワルカーも来なくて、暇な方の日だった。それでボクは都城大弓で的当てなんかしていたわけなんだけど、あまりにも百発百中な上に、秋に入ったにも関わらずひどく暑いので、だんだん飽きてきた。
何かもう少し変わったことがしたくて、的を変えてみようと思った。できれば動く的か、ボクが動きながら射つかしたいなと思う。実戦では止まった的を射つってことはないんだし。
それでボクは適当に歩きながら的になるものを探した。動きながら射つってのは流鏑馬でもない限りちょっと難しいし、動く的って言ったら動物か葉っぱが落ちるかくらいしかない。で、できれば動物は射ちたくないから、葉っぱ系のものがありそうなところを探すことにしたんだ。
歩いてるうちに、草むらみたいなところに出た。見渡す限り草原、近くに雑木林なんかもある。ボクはその林のへりに沿って歩いてみた。これだけ木があって、しかも秋に入ったんだから、ボクの望む落ちる葉っぱを見つけられてもいいような気がするけど、残念ながら夏みたいに暑い今日にそれを期待するのはちょっと望み薄。風もあんまりないし何だか今日は撤収かなぁ。大人しく的当てするか、もういっそゴミ拾いとか行った方がいいのかな。
そんなことを考えてたら、急に強い風が吹いた。
「……」
思わずポカーンとしてたら、そのボクの目の前で、まだ緑も盛りの葉っぱがブワッと舞った。
さっきまで探してた、落ちる葉っぱだ。
「わっととと」
ボクは慌てて弓と矢を構えて、くるくる舞ってる葉っぱを連射した。これを逃したらもう風なんか吹かないかもしれないから今しかない。
でもいきなりのことだったのと焦ったので結構手元が狂う。もし準備したところから射ててたら、これだけ動きがあったってまぁ9割は当てられたと思うのに、今は、正確な数は数えられなかったけど結構外れてるのが見えた。
「ふぅ…」
悔しいなぁ。もしワルカーがこんな感じで急に襲ってきたりとかしたらこんなもんなのか。まぁワルカーが急に、ってことはないだろうけど(みんなが一斉に九州のこと忘れる、ってあんまりないだろうし)。にしても、ボクもまだまだだな。
溜息をついて、射った矢を回収して回る。葉っぱが刺さってるやつもあればないやつもある。ためしに地面に並べて数えたら、葉っぱが刺さってるのが大体7割ないくらいだった。うーん、やっぱりなんか悔しい。
「二本忘れてるぞ」
「ぅえっ!?」
急に上から人の声がしたからかなりびっくりして見上げると、
「あ、あ、葵、先輩」
暑そうなんだか涼しそうなんだか分からないいつもの格好をした、ダンジブルー、大分葵先輩がそこにいた。
驚きがなくならないボクとは裏腹に、先輩はいつも通り落ち着き払って、何の動揺もない態度だ。
「…これ。急に飛んできたから驚いたぞ」
そう言われて見ると、その手にはボクが射った矢が二本あった。
「えっ…」
そしてよくよく見れば、その矢を持ってる右手の、ひらひらした袖の先が裂けたようになってて、黄色い目のちょっと下辺りにも何かかすり傷みたいなのが…。
「うわああすいません!すいません!当たりませんでしたか!」
「当たったら生きていないだろう」
「そうですね!ていうか顔にまで!ほんとすいません!」
「次から気をつけてくれ」
ボクは真っ青になって、かなり動転しながら謝ったんだけど、先輩はその間じゅう、全然、それこそ欠片も、動揺した様子がなかった。ひたすら平坦な、いつもの葵先輩。そしてそのまま、ボクが矢を受け取るが早いが、くるりと振り返って行ってしまった。
「……」
ボクは呆然としながらその後ろ姿を見送った。
結果的にかすり傷とは言っても、顔に矢がかするって、怖くないんだろうか。しかも目の下なんて。
『次から気をつけてくれ』
それに、そうは言うけどあの人はどこから出てきたんだ?
このボクが欠片もその気配を感じ取れないなんて。
いくらあの人の方が先輩、とは言っても一つしか違わないのに。さすがはダンジジャーの一角を担うだけはある、ってこと?でも他の先輩だったら、全然気付かないなんてことない、たとえあの何でもできる琥珀先輩だったとしても。
「大分…葵…か」
ボクは、今まであんまり気にしたことなかったその人について、いやでも考えることになった。

***********

その次の週の同じ日は、うってかわって元々凄い風が吹いてた。台風でも来るのかな。
あれ以来、ボクは何となく、葵先輩を見ていることが多くなった。そうやって気をつけて見るようになると、7人で何かしら行動してる時はともかく、この前みたいに自由行動できる時になると、葵先輩はふらりと姿を消してしまうってことに気付く。それなりに気をつけて見てるはずなのに、いつの間にか。それでそれからいくら探そうと思っても、どこにも気配がない。あの時と同じだ。
もちろん物凄い主張が激しいタイプの人じゃないけど、そんなに薄いというか、空気みたいな人でもないと思うんだけど。現に一緒にいる時には見失ったりしない。あの服も髪の毛も長くてひらひらするから結構目立つんだ。なのに一旦見失ったら見つけられないのはなんでなんだろう。
今日も例に漏れず、いつの間にか見失ってしまって、ボクは暇をもてあますことになった。今までのパターンからして、見失ったらどんなに頑張っても見つからないのは分かってたから、またボクは的当てでもすることにした。あの日と違って今日は風が強いから、そんなに探し回らなくても葉っぱはあるだろう。
「……」
とは思ったけど、ふと思い立ってボクはこの前と同じ場所に行ってみることにした。別にいつもあそこに葵先輩がいるとわけじゃないのは分かってたけど、何となく。別にあの人がいなくったって、あの場所なら的にする葉っぱには困らないだろうから、無駄足にはならないし。

そうやって例の雑木林を目指して草原を進んでく間にも、風はどんどん強くなっていった。むしろ強すぎて、木の葉っぱだけじゃなくて足元から細い草の葉っぱも飛んでるみたいだった。かたくてあんまり風にはなびかないボクの髪の毛でさえ、結構踊ってる。一週間しか違わないのにこの天気の差ってなに?
とにかく進むしかないと思って歩いてる間に、
(……?)
風の轟音の隙間に、何かかすれた音が混ざっているような気がした。
ボクは足を止めて、神経を尖らせる。
「……」
いや、気のせいじゃない。高い空気の擦れるような音が、風にかき消されそうなギリギリのバランスで聞こえてきてる。
気付いたら、ボクはその音を追いかけてた。当初向かってたのとは90度違う方向だった。
これだけの風で、元々そんなに耳が利くわけでもないから苦労したけど、少しずつ音は近づいてきた。けど、近づくにつれてそもそもそんなに大きな音じゃないってことも分かってきた。時々高くなったり低くなったり、途切れたりするこの音。
もう何なのかは明らかだった。これは葵先輩の笛だ。

歩いてくとちょっとした高台に出た。ここからすり鉢みたいに斜面が少し急になる。坂がだんだん緩やかになって、また平坦になっていくような地形の、その平坦になったところに、ボクは青い後ろ姿を見つけた。
葵先輩は思った通り笛を吹いていたけど、こっちが風上だったので、こんなに近くに来たのに相変わらず笛の音はか細かった。曲にもなってない音の羅列を、途切れ途切れに吹いている。これはきっと、ボクの的当てと同じで何かの練習なんだろう。
笛の音は澄んでいるわけではなかった。どっちかというと竹っぽいというか、風邪の治りかけに無理矢理声を出してるようなかすれ方をしてた。でもそれが逆に意外というか、風情があるというか。あの人のあの見た目で高くて澄んだキレイな音なんて当たり前すぎる気がする。
ダンジジャーはみんな着物っぽいものを着てるけど、中でも風を含みやすい葵先輩のぶかぶかの袖が乱れ放題で、出てる肩とかなんかの細さを強調してる気がする(確か腕力ないんだよなあの人)。何か気のせいなんだろうけど、あの笛の音が強くなったり弱くなったりしてるのに合わせて風も強くなったり弱くなったりしてるような。ていうか、普通に美人なんだよな。男に使う言葉じゃないかもしれないけどね。
目を凝らしてよくよく見たら、一週間前にボクの矢がかすって裂けた袖はそのままだった。確かに袖を直してる先輩なんて想像つかない。顔の傷はいい加減ふさがってきてたような気はするけど。
『急に飛んできたから驚いたぞ』
そう、全然驚いてない調子で言ってた先週のあの人の様子を思い出す。
「……」

もし、狙って射ったら、どうなるだろう?
ボクの矢は百発百中、狙った獲物は逃がさない。
『当たったら生きていないだろう』
ほんとに死んじゃうかな?

深く考える前に、ボクは自然と、矢を番えて弓を引いていた。
青くて細いその背中に向かって。


それからのことは、どう言ったらいいのかわからない。
何か、映画かなんかのコマ送りでも見てるような感じだった。

気付いたら手が離れてて、ボクの矢は真っ直ぐ葵先輩の背中の真ん中に向かって飛んでいった。
風上だったから、勢いを殺されることもなく。
刺さる、そう思った瞬間に、
青くてぶかぶかの裂けた袖が翻った。
でもそれだけ青一色の動きの中で、ボクの目に焼きつけられたのは、鋭い鋭い、金色だった。


先輩は自分に向かって放たれた矢を、素手で掴んでいた。
矢の勢いが死にきらなくて震えてるのを、大して力がないはずだとボクが思ってたその左手で、捕まえて動かさない。
中途半端に振り返った状態でこっちを見上げるその目は、さっきの一瞬の鋭さとは裏腹に、やっぱりどこまでも、平坦な金色だった。
「……」
「……」
同じボクの矢で、先週は袖にも顔にもかすり傷を食らったはずなのに、今日はこの反応。
この人、無頓着そうに見えて、自分に向けられた殺気にはこれだけ鋭いのか。
それで、その殺気があるとかないとか全部分かってるのに、やっぱりそんな平坦な目のまま。
「…急に飛んできたから驚いたぞ」
「…すみません、当たりませんでしたか?」
ボクは弓を肩に担いで、坂を下りた。同じ高さに立てば、まだ少しボクより背が高いその人を見上げると、
「…次から気をつけてくれ」
やっぱり、何の動きもない目で、少しも揺れてない声で、そう言って矢を返してくれた。


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