夢の岸辺に
「僕はねぇ、X。フェイカーについて一つだけ評価しているんだよ」
いつも高笑いばかりしているトロンが突然、真剣味を帯びた声になったのは記憶に新しいことだった。
「は…何をでしょう」
そして言い出したその内容も意外で、私には彼が何を言おうとしていたのか想像できず、間抜けな問い返しに終始した。トロンは、それを知った風な顔で笑っていた。
「奴は、僕や一馬だけじゃなくて、自分の息子も犠牲にしたんだ。もう一人の息子のためにね」
「……」
カイトのことか。確かに、今彼がやっていることを考えれば、犠牲という言葉は似つかわしい。
カイトのことは、私も犠牲にしたのだ。その努力を愛おしいと思い、心を許させておきながら、真実――あの時の私は父が死んだと思っていたが――を知った瞬間、相反する憎しみが消えなくなった。
Dr.フェイカーに用がなくなったこともあったが、このままカイトのもとにいては余計に彼を振り回すだろうとも思い、私は捨てるように彼のもとを去った。私がしたことと、フェイカーの所業、一体何が違うと言うのだろう。
「あぁ、でもそれは僕も同じだね」
と思ったら、目の前のトロンがそんなことを言い出して、私は急激に意識を引き戻された。今、トロンは何かとても重大なことを言わなかったか。トロンは仮面の下に試すような笑みを浮かべていた。
「…そんなことはありません。私は犠牲になどなっていません。役に立っているつもりです」
私は慎重に答えた。トロンの力の前に偽りは意味がない。だがそれでもないものねだりのような無様な感情が漏れ出ることは避けたかった。
「ふふ、そう言うと思ったよ。君は否定する。Wは肯定する。Vは大丈夫ですと言うだろうね」
トロンはそれを理解したのかどうか、特に不満はなさそうに微笑んでそう言った。
「……」
その通りだろうと思った。トロンがWやVにこんなことを言うとは考え難いが、もし言ったならそういう答えになるだろう。私にもそれ以外考えられなかった。
「君たちのことは分かっているのさ。誰よりもね」
トロンの声は歌うようだった。そうだろう。トロンは私たちのことを誰よりも理解している。私たち自身よりも、ずっと的確に。
それは愛じゃない。
それでも、その愛じゃないよく分からない不気味なもののためだったら、すべてを捨てられると思えてしまうほど慕わしいものなのだ。
カイトも、実の弟たちでさえ。
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紋章の力とダイソンスフィアを失い、私の魂はVと共に深い眠りについた。
九十九遊馬。一馬さんの息子。カイトを応援していた彼なら、血の繋がりに囚われず本人を見る力がある彼なら、あるいは父を救ってくれるだろうか。
「だとしたら」
私は目を上げた。よく知った呻き声だった。
「なんであいつなんだよ。なんで俺たちじゃ無理だったんだよ。俺はムカつくよ。あいつに対する嫉妬が消えない」
いつの間にか同じ夢に降りてきていたWが歯を食い縛る。
「…嫉妬…」
そうかもしれない。あの眩しさは、それがない私たちには疎ましいと思えるものだった。その負の感情につける名前として、嫉妬は一番相応しいかもしれない。
「遊馬は」
そうしたら、応えるように私以外の声が響いた。Vだった。私たちの中で唯一、遊馬と直接刃を交えたV。
「父さんだった頃のトロンを知らないもの。理想を追い求めることがないもの。誰にでも無償に与える子だもの。僕たちにできないことができるのは当たり前だよ」
「僕たちはどうしても振り返って欲しいから」
「見て欲しいから」
「照らして欲しいから」
「父さまが必要としてるのは照らされることなのに」
「俺はムカつくよ…」
「大丈夫だよ兄さま」
頭を抱えたまま呻いているWに、Vはすっと寄り添った。
そして、私に向かって、微笑を浮かべて、
「一人では無理でも三人ならきっと照らせるよ」
と言った。
「……」
私は、その柔らかくも強い笑顔を見た。私は一度、トロンのためだったら、弟たち――お前たちさえ捨てても構わないと思ってしまったのだ。あの人を父さまに戻すことも、家族を守ることも、そのために何もかも諦めてしまったのだ。
「私にも…できるのだろうか」
声と思いの曖昧な空間で、私は呆然と呟く。そんな私に、誰かを照らす光を生むことなどできるのだろうか。
「大丈夫だよ兄さま」
Vが、Wの肩を抱えたまま、私の手を取っていた。
「僕たちの光は強くなくていいんだよ」
(兄さまが兄さまなら、そんなのどうだっていいんだよ)
あぁ、V――ミハエル、お前がそんなに強いのは、遊馬がお前を照らしたからなのか。
私にも、もう一度取り戻すことができるのか。犠牲にしてきた何もかもを。
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VっていうかVになった感ある