龍神
何の因果か。
こんなところで、この男に出会ってしまうとは。
「……」
人混みの中、互いに一瞬動きを失う。予測の外の事柄が起こった時の反応だった――つまり、オレが彼を探していたわけではなかったのと同じように、彼がここを歩いていた目的もオレではなかったのだろう。
だが、バリアン七皇、もう一人のギャラクシーアイズ使い。奴にはオレと出会して逃げる理由がない。オレとて、尻尾を巻いて逃げる気はない――だがオレは人として、ここで周囲を巻き込んで戦いを始めさせるわけにはいかない。奴が何か言う前に、オレは体の向きを反転させた。
「待て!天城カイト!」
案の定、ミザエルはオレに食いつくように追ってきた。当然なりふり構う様子もなく、周囲の人間を半ばなぎ倒していて小さな悲鳴が上がっている。
「チッ」
バリアンとのデュエルに関わることをするつもりが完全になかったので、オレはオービタル7を連れていなかった。通りを走っていると影響が大きすぎるが、空に容易く逃げることができない。仕方なく、街路樹や街灯を伝って跳び上がる。それも人目を引いてしまうが、他に方法もなかった。
「待てと言っているッ!」
当然、ミザエルの方がそれを障害とするはずもない。ビルの屋上から屋上へ飛び移るオレを、間を空けずピタリと追ってきた。とは言え、ありえないほど急激に差が詰まるということもなかった。奴の方も今は人間の姿をしている、バリアンの力はセーブされているのだろう。
一度屋上の高さまで上がってしまえば、その後人々を巻き込むことはない。オレはどこまで奴を引きつけるか考えた。他の人間がいない、それでいてオレの素性にも繋がらない場所はどこだ。
結局そんな場所はそう多くない。オレが辿り着いたのはハートランドが管理する港の側にある空き地だった。少し上がっている息を整えながら、オレは体の向きを変えた。
「何の、用だ」
「私と勝負しろ!」
一方のミザエルは、まるで疲れた様子がなかった。あれだけの距離を跳んできて、髪の毛一本乱れていない。やはり、ヒトの形をしていても、人間ではないのだ。
「…その姿でか?それではカオスナンバーズを呼べないのではなかったのか」
「ぐっ…」
とは言え、彼がその姿では全力を出せないのもまた明らかだ。そもそも、当初彼の目的はオレと戦うことではなかったはず。オレの言葉にミザエルは詰まった。やはりそうなのだ。
だが、それなら彼は何を目的に人間界に来ていたのか。それをそう簡単に教えてくれる相手でもないが、それが知れれば今後の手がかりになるかもしれない。この相手から見破ることができるだろうか。
「本気の戦いでないなら何の意味がある」
「……」
オレは言いながらも彼を観察し、その真意を考えていた。ミザエルは答えなかった。その無言から、表情から、以前顔を合わせた時の自信とは違う、揺らぎのようなものが滲み出しているように思えた。
ナンバーズ46の遺跡で金龍とアストラルから聞いた話が真実なら、ミザエルはかつて人間だったことがある。死してバリアン世界に転生したと考えるのが最も妥当だが、今のところはまだ情報が少ない、結論は出なかった。
「……」
だが、オレはその程度で済んだが、ミザエル本人はどうか。遺跡での彼の様子を見るに、今の彼がその記憶を持っているようには見えなかった。だが、その知らない物語を、自身のことだと突きつけられたことになるのだ。
彼は信じようとしていないようだった。当然だ、彼は人間を侮蔑している。――だが、いくら信じないようにしていても、その侮蔑する人間と同じ存在だったのかもしれないという迷いが、少しもないはずはないだろう。
彼がオレとの勝負に拘る理由は何か。もちろん、オレもそうであるように、自らのギャラクシーアイズに誇りを持ち、自分の他のギャラクシーアイズ使いがいると知れば、雌雄を決しなければならないと思うのは必然だ。
だが、それより今、彼はギャラクシーアイズに自らの存在を頼るしかない状況なのではないか。
その記憶のすべてを放棄しても、どんなに混迷していても、芯に染み付いたドラゴン使いとしての誇りが彼にはある。人間がバリアンになろうとも、金龍が言っていたように、彼の龍の神としての魂は変わっていないのだ。迷いが彼を揺るがす今、その気高さだけが、彼の拠り代なのだろう。
そして目的を失ってギャラクシーアイズに頼るしかない彼は、まるで一時期のオレ自身の姿見のようだ。
「…きさまの茶番に付き合っている暇はない」
オレは目を閉じた。自分の弱点は理解しているつもりだ、今更それをまざまざと目の当たりにさせられることは気分がいいことではない。
彼とはいつか必ず決着をつける、だがその時が今でないなら、これ以上その迷う様を見ていたいとは思えなかった。
「!」
だが、そこで予想外の鋭い動きを感知して、オレは急いで目を開けた。
「う…ぐっ」
少し反応が遅れたのが災いし、ミザエルの手がオレの喉を捉えることを許してしまった。そのまま指が首に食い込んで、オレの呼吸を止めようとしてくる。ヒトにはあり得ない強さだ。
「ならば今貴様を殺してしまえばギャラクシーアイズ使いは私だけになる!」
ミザエルはそんなことを喚いていた。オレは、彼の迷いがある程度あるだろうと思ってはいたが、ここまで深いものだとは想像していなかった。こんな手に出てくるとは、完全に油断していた。性格がいいと思っていたわけでは決してないのだが、サルガッソの灯台を使わなかったり、ギャラクシーアイズに関することで正当なデュエル以外の手を使ってくるとは思っていなかったのだ。
「…か、はっ…」
奴の手を掴んでも引っ掻いても、指が緩む様子がまるでない。このままでは、オレの息の根が止められる方が先だろう。オレは歯を食い縛り、霞む目で奴を睨んだ。いくらヒトではない、バリアンだと言っても、一瞬怯ませることはヒトと同じような原理で可能なはずだ。
オレは、右手からデュエルアンカーを発動させた、奴の目めがけて。
「!」
それが奴の目を傷つけることはなかったが、狙い通り、抜け出すのに十分な隙が生まれる。オレは、奴の手を振りほどいて呼吸を取り戻す。生理的にどうしても咳き込み、涙が滲んだ。オレは喉を押さえ、急いで息を整えることに専念する。
「…何の、つもりだ。見苦しいぞ」
まだ乱れの残る息で、だが、オレはそれだけは言った。彼に幻想を抱いていたわけではなかったが、こんな手を使うほど堕ちてもいないはずだ。
「くっ…」
その自覚はあるのだろう、ミザエルが浮かべる表情は渋く、再びオレの喉を狙ってくる様子はなかった。
「…だが、貴様にはどのみち、私の糧になってもらう」
ややあってから、ミザエルがオレを暗い目で睨みながら、唸るように低く呟いた。
「!」
それとほぼ同時に、オレの手からオレの意志と無関係にデュエルアンカーが伸びた。そしてそれは途中で反転し、分裂して、オレが避けようとする動きをまるでものともせずに、オレの両手に巻きついてきた。
(…くっ、これは…)
まさか自分のデュエルアンカーに、自分の自由を奪われるとは。オレの両手は広げられたまま動かなくなった。まるで目に見えない何かに吊られているかのように。
「バリアンの力でバリアンたる私に敵うと思ったのか」
「……」
こんなことまでできるとは。だが、考えてみればバリアンの中でも七皇と銘打つだけの存在だ。これくらい驚くには当たらないだろう。
オレに近寄るミザエルの目は相変わらずどこか妙だった。オレに何をしようと言うんだ。今までの彼の行動からはまるで想像することができない。
「貴様のすべてを暴いてやる、天城カイト。私のためにその存在を曝け出せ!」
その手がオレの肩を掴む。そう宣言するミザエルの声は高らかだった。
「……」
なるほど、そういうことか。
自らの存在の根幹に疑いを抱いたミザエルが、人間界に来たのはその痕跡を探すため。
そして今やろうとしていることは、その中で一番自分に近いオレを利用することだ。同じギャラクシーアイズ使い、自らの存在意義をギャラクシーアイズに依存しているところまでが似通っている。オレの魂の本性を暴くことで自分の存在に対するヒントを得ようとしているといったところだろう。デュエルを通じてでも良かったが、本気を出せない、つまり得られる情報が少ないのなら、デュエルに手段は拘らないということだ。まさになりふり構わずといったところか。
「…できるものならやってみろ」
オレは、笑みさえ浮かべてそう言ってやった。
お前が敵にしようとしている男が、そう簡単に暴かれてやるほど優しくも軟弱でもないということを知るがいい。
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この二人はいがみ合ってほしい部