凍てついた炎


意外な場所に意外な人物の姿があったものだ。
私がその姿を見つけた時、彼はマシン相手にゴール前に立っていて、ほとんど目の前というような至近距離から撃ち出されるボールを平手で気だるそうに弾いては脇へ転がしていた。グローブすらつけない素手のままで。
サッカーの技術に関して私と彼に優劣はないと思っているけれど、殊このスキルに関しては試すまでもなく負けを認めざるを得ないだろう。私にはあんな真似ができるとは思えなかった。けれど、プロミネンスにはちゃんとした正キーパーがいるはずだ。あんなことをして何になると言うのだろう。
「何故君がキーパーの練習を?」
そこで私は、素通りするつもりだったプロミネンスの練習場へ入ったのだった。バーンは少し驚いた顔をしたが、それでうろたえるような無様な真似はせず、すぐにうっすらと凶悪な笑みを浮かべた。
「イザって時のために何にでもなれるようにしとくのはキャプテンとして当然だろ?お前のチーム、キーパーが死んだらどうするワケよ」
それは、私の問いの先にあるものまで見通した答えだった。直情型とばかり思っていたが、悪くない。私は唇の端に笑みが浮かぶのを自覚した。
「当然とは。言ってくれるね。私はベルガを信頼しているのさ」
私はそう答えて、マシンを手で押した。キャスターがついているそれは初動さえ促せば勝手に転がって退いていく。怪訝な顔をする彼の前に、私は向き合って立った。
「偉そうなことを言うならお手並み拝見といこうか。君だってマシン相手じゃ退屈だろう」
バーンはそれを聞いて、見間違うこともなく一瞬、閃くような興奮をその金色の目に走らせた。それから、興味のなさそうな態度を装った。
「誰が敵に手の内見せるかよ」
その金色の光が私に与えた武者震い的な高揚と比べると、彼の返事は面白みがないものだった。私は失笑を浮かべる――その直前、恐らく私の目にも一瞬、その高揚の光が走ったことだろう。
「無意味なこと言わないでくれるかな。それとも自信がないのか?」
形だけの挑発でも、彼が乗らざるを得ないことを私は知っている。
「…分かってて言ってやがんな、テメェ」
「ふ」
なぜなら、彼はプロミネンスそのもの。ダイヤモンドダストそのものである私に、たとえ表面上のことだけでも、譲ったり退いたりするような結果を許さないプライドが、堅くそびえ立っているからだ。


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最初、ガゼルは数歩下がって、ただのシュートを何本か打ってきた。
「……」
それでも、至近距離のマシンより手元で伸びる感じがするのはなんでなんだ。止められないことはないが、掌に残る衝撃の余韻がまるで違う。
「ふぅん、片手で止めるとはね」
ガゼルが不本意そうな、でもどこか楽しげな声を出した。同じような気分は俺の方にも走ってる。
「気合足りてねえんじゃねえの?まさかこんなもんとか言わねえよな」
分かりやすい挑発に応えざるを得ないのは俺だけじゃなくてガゼルも同じことだ。奴はダイヤモンドダストそのもの、でもその前に一個人として意外と短気だったりする。眉間に皺を刻んで、唇では笑った。イラついた時の顔だった。
「後悔することになるよ」
そしてその言葉と一緒に、奴の全身から青いオーラがゆらりと溢れ出始めた。ちょっとイラついたくらいで目に見えるほどのそれを出せる奴ってのもなかなかいない。次にガゼルの左足がボールにインパクトした時、その青白いオーラでボールの軌跡が彩られていた。
「…くッ」
思わず声にならない音が歯の間から漏れる。受け止める俺の手からも、知らず赤いオーラが漏れ出した。その辺の奴にキャッチが負けるような鍛え方はしてないが、必殺技を持つほどキーパーに入れ込んでいるわけじゃない。止められるか。
「……」
だがそれはこのシュートだって同じことだ。少し属性強化で勢いはかかってるかもしれないが、奴の決め技、ノーザンインパクトに比べればはるかに生易しいはずだ。こんなのも止められないようじゃ、訓練してるだけムダってことになる――逆に言えば、その程度のボールで俺を揺るがすガゼルのキック力も、やっぱり二流とは言い難い。
「なかなかやるじゃねえか」
俺は若干引きずられながらも何とか止めたボールを、もう一度ガゼルの足元に投げ返した。ボールの勢いを殺した掌がまだジリジリと痛む。
「おや、いいのかい」
ガゼルが、そのボールを足元に止めて目をうっすら細める。まぁ正直止められる気はしないが、
「やってみろよ」
せっかくこいつを相手にしてて、それを見ずして終わるんじゃ、何のために乗った挑発か分かったもんじゃない。

「ノーザン、インパクト!」
相変わらず、辺りの空気まで凍らして結晶にしちまうくらいの冷気は伊達じゃない。そのモーションを真正面に立って見てるだけでも十分すぎるほどのプレッシャーだった。俺はいつもグレントにこんな思いさせてんのか。
青白く光ってボールの模様が隠れた球体を、それでも一応手で止める。当然、片手じゃ太刀打ちできるはずがない、両手両足で立ち向かうわけだが、ボールの接触してる掌も、地面に踏み止まろうとする足も、エネルギーが高すぎて皮が悲鳴を上げていくのが分かった。
「チッ」
俺は止めるのを諦めてボールを止めていた腕を引いた。白く光り続けたボールが、辛うじて退いた俺の体を掠めながらゴールに突き刺さる。少し遅かったら、あるいは肩にでも当たってたら、今頃俺の体ごとゴールネットの中だろう。
「やるじゃないか」
ガゼルの言葉は、それを回避したことに対する賞賛だ。あるいはここまで俺が持ち堪えるとも思ってなかったのか。どっちにしても嫌味ったらしい奴だぜ。
「…テメーがな」
始める前から負けて当然の勝負、とは言っても、相手を上げる言葉は口に苦々しい。

奴が去った後、俺は自分の両手を見た。
「……」
皮がもたない、と思ったのは間違いじゃなかった。
指紋の端々が焦げている。人差し指の付け根にマメのような、剥けかけている何かがある。
「…ハッ」
俺は思わず出した笑い声が震えた。そう、これは――俺が専売特許にしているはずの、火傷の症状に近い。

氷じゃない、あいつは炎だ。
触れるものを冷気で焼く、青く酷薄な炎。

そしてそれは、俺たちの間で燃え盛っているものでもあった。
互いに媚びない、譲らない、だが無様に引っ掻き合うこともしない。凍りついたように動かず、透明で、だが侵入を厳然として拒む炎。
(…悪くはねぇな)
俺は掌の皮の焦げ目を口元で拭った。その火、いつか全部、俺が支配してやる。お前の青く澄ました冷たい目を、赤く赤く染め上げてやろう。


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バンガゼは手に馴染みます